涙・WINTER ON FIRE:UKLAINE’S FIGHT FOR FREEDOM。

ウィンター・オン・ファイヤー ウクライナ、自由への闘い

昔よりキエフで討つみのウクライナ 報いを待てやロシア・プーチン


何故今ウクライナが、圧倒的軍事力を誇るロシア軍を相手に一歩も引こうとしないのか?

その問いに対する答えを描いたのが、2013-2014年にかけて起きた市民革命・ユーロマイダンを追ったドキュメンタリー「ウィンター・オン・ファイヤー ウクライナ、自由への闘い(2015)」。

2013年11月、親ロシア派だったウクライナのヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領は、選挙公約であったEU加盟に向けた協定調印を反故にするばかりか、ロシアとの結びつきを強化する決定を突如下す。

2013年11月21日夜、その決定に抗議する学生らを中心としたキエフ市民数千人のデモ隊が独立広場に集結、警察隊(ベルクト)や臨時機動隊(ティテュシュキー)ら治安部隊数百人と対峙する。

次第に双方の衝突は激化するも、銃火器を擁する治安部隊の武力の前にデモ隊側の被害は死者125名、行方不明者65名、負傷者1890名と広がっていく。

しかし、デモ隊の闘志に魅せられ全国各地からキエフに集まった市民の数は数十万規模人まで膨れ上がり、その勢いに恐れをなしたヤヌコーヴィチ大統領はデモ開始から93日後の2014年2月21日、ウクライナにおける政治危機の解決合意を締結したのち慌ててロシアへ亡命、結果的に市民革命が成功するに至ったのである。

この8年前に起こったユーロマイダン革命での市民の命懸けの闘争心と結束力こそが、今のウクライナ人の不屈の精神を養ったのではないだろうか。

 

□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□

このユーロマイダン革命を成した4日後の2月25日、今度はクリミアの独立を要求する数百人のロシアの御用デモ隊がクリミア議会を占拠し、ロシアによる悪名高きクリミア危機が勃発したのであった(涙)