惑・どうする家康 x 安土城での決闘。

本能寺の変

真相は如何に?


2023.07.16に放送された
大河ドラマ《どうする家康》
『安土城での決闘(27)』では

饗応役を務めた明智光秀が
家康より淀の鯉が臭うという
言い掛かりをつけられ
余計なことを口走ったため
信長から殴られる暴行を受けた。

このシーンはイエズス会の
宣教師・ルイス・フロイスが書いた
『日本史』や江戸初期に書かれた
二次資料を参考にしたものと思われる。

同時代の資料となる『日本史』には
以下のように書かれている。

「信長は、家康一行の接待役を命じられた光秀と、その準備について安土城の一室で密談していたが、信長は元来逆上しやすく、自らの命令に対して反対意見を言われることに堪えられない性質であったので、人々のうわさによると、信長の好みではない件で光秀が言葉を返すと信長は立ち上がり、怒りを込めて一度か二度、光秀を足蹴りにした」

うん?

人々のうわさによると?

どうやらフロイスは
饗応に招かれていたわけではなく
伝聞を聞いて記述したというわけだ。

また、事件の経緯が
具体的に書かれている
1621年以降に成立した
『川角太閤記』も
同様に怪しさ満載である(笑)

インターネットのある
今の時代でも怪しいのに
あの時代の口伝だけの噂を
果たして信じていいのだろうか。

否、そりゃあかんでしょ。

以前にもコチラで書いたが
一次資料として信憑性の高い
太田牛一の《信長公記》には

『光秀は、京都・堺で珍しい食料を調達し、大変に気を張って接待した。』

と、書かれてはいるものの
饗応役の失態で信長に折檻された
などという記述はどこにも見当たらない。

がしかし、、、

代わりに梅若太夫の能が
不出来で見苦しかったことから
信長は大変立腹して梅若太夫を
ひどく叱責したと記載されている。

この梅若太夫責の件は
家康饗応に同席した
津田宗及の『宗及他会記』にも
同様に記述されている。

蒸し返しになるが
やはり光秀は梅若太夫と
勘違いされたのではないだろうか。

絶対ではないだろうが
70%はそうだとしか考えられへん(笑)

とはいえ大河ドラマのほうは
家康が信長を討とうとするという
奇想天外な展開の布石として
この折檻事件が組み込まれたようで
それはそれでありかもしれない。

PS.

岡田信長の目ヂカラ
そして、覚悟、良き良き。

 

□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□

《麒麟がくる》で
イメージアップしたはずの

明 智 光 秀

《どうする家康》では
真逆に振られてるのが辛い(涙)