桜・大倉集古館の春。

大倉集古館の春 ~新春を寿ぎ、春を待つ~

2024.03.14(木)11:30


大倉集古館の春 ~新春を寿ぎ、春を待つ~

冒頭ポスターにも掲載されている
以下2つの名作をどうしても観たくて
ホテルオークラ横にある大倉集古館へ。

《扇面流図屏風》宗達派 17世紀

右隻

左隻

土石が流れるきちゃない川に扇子の絵を貼り付けただけの六曲一双の屏風かと思ってたけど、実はこんな逸話をもとに描かれたそうな。

室町幕府初代将軍・足利尊氏が嵐山の天龍寺に参詣したとき、お供の童が桂川に誤って扇子を落としてしまい、その流れていくのを雅に思った家臣たちがわれもわれもと川に扇子を投げ入れ、ひらひらと扇子が舞いながら流れる様子を見て楽しんだという。。。

なんて風流で雅な逸話。

《夜桜》横山大観筆 昭和4年

言わずと知れた横山大観の傑作。

横山大観自身が保有していたという枝垂れ桜を描いた富田溪仙の《祇園夜桜》に着想をえて制作されたとも言われているが、横山大観はいったいどこの枝垂れ桜ではない山桜を描いたんだろうと気になったので調べてみた。

コチラの三重県立美術館学芸員の佐藤美貴さんの考察からすると、どうやら上野の桜をモチーフにして想像で描かれた可能性が高いのかも?

以上、会期は3/24まで、お見逃しなく。

 

□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□

第11回放送『まどう心』では
道長に妾として求婚されたまひろが
「耐えられない、そんなの」と道長を突き放し
挙句の果て道長は怒りを抑えられずその場を離れてしまうという。

さて、この時のまひろの気持ちが
いったいどんなものだったのかと
SNSを中心に以下2つの説が唱えられている。

1. まひろは純粋に北の方(正妻)として自分だけを愛して欲しかった説。

2. そもそもまひろと道長とでは身分の差があり、聡明なまひろならそれを分かっていた上でわざと自分から「北の方」を言葉にして我がままを言ったように見せ掛け道長を突き放した説

というわけで、ボク的には最初は2を深読みしたんだけど敢えて1を選択。

そもそも直秀の死によって身分差別のない世を作ろうがスローガンのふたり、それゆえに道長には身分の差を乗り越えて北の方(正妻)として求婚して欲しかったんだと思う。

でなきゃ、妾と言われあんな切なく悲しそうな顔はできないと思う。

とはいえ、史実のまひろ(紫式部)は、佐々木蔵之介演じる藤原宣孝に3番目の妾として嫁いでるので、その点は引っ掛かるが。。。汗