栄西と建仁寺、そして雲龍図と風神雷神図屛風。

開山・栄西禅師800年遠忌 特別展「栄西と建仁寺」 The 800th Memorial of Yosai Roots of Zen: Yosai and the Treasures of Kenninji

学生時代、京都で4年も過ごしたのに
建仁寺も栄西も知りませんでした(滝汗)


さて、ボクが学生時代の4年間を京都で過ごしていたことは既に「今から26年前の大学生時代に下宿していた京都のマンションが未だ健在であることをGoogleストリートビューで知りました。」の記事にてご報告した通りですが、京都の神社仏閣やその歴史に関しては相当な勉強不足であったこと、まったく否定できないところではあります。ま、その事実この際一旦棚に上げさせて頂くことにして、京都って歴史の宝庫であることはもちろん言うに及ばずなんですが、人気のレストランやブランド同様にその時々によって人気のあるお寺や神社ってころころころころ変わったりするんですよね。

特にJR東海のテレビCMで個別の京都の寺社仏閣が紹介され始めてからはその流れが顕著になってきまして、最近ではFacebookやTwitterなどのSNSを通じて一瞬の美しい写真とともにその歴史的背景が語られると、過去に見向きもされてなかった寺社仏閣に突然脚光が集まるみたいな。

ま、つまりぶっちゃけた話、ワタクシの勝手ないい訳なんですが、学生時代に京都で4年間過ごしたにも拘らず「栄西って誰よ?」「建仁寺って何処にあるの?」ってなことになるのは当時の流行から栄西も建仁寺も大きく外れていたということで無理くりご了承頂ければと思う次第でございます(滝汗)

開山・栄西禅師800年遠忌 特別展「栄西と建仁寺」 The 800th Memorial of Yosai Roots of Zen: Yosai and the Treasures of Kenninji

がしかし、Heritagerを自認する者としまして、そんな歴史認識ではいかんと心を入れ替えまして、昨年秋に同じく東京国立博物館 平成館で開催されていた「京都―洛中洛外図と障壁画の美」の見学に続きまして、3月25日より開催されていた開山・栄西禅師800年遠忌 特別展の「栄西と建仁寺」にもお邪魔し、遥か離れた京都を思いながら見学させて頂いた次第デス。

栄西像

で、コチラのお方がその栄西禅師(明庵栄西坐像)であられます。展覧会の入口すぐのところにこの像が展示されており、頭の形が異様に四角いのが栄西禅師の特徴なんですが、やっぱり見たことも聞いたこともないお方でございました(滝汗)

永治元年(1141年) – 建保3年(1215年))に生存されたお方なので、平安時代末期から鎌倉時代初期を生きられた僧であられます。詳しくは以下の通り。

建仁寺開山千光祖師。永治元年(1141)4月20日、備中(岡山県)吉備津(きびつ)宮の社家、賀陽(かや)氏の子として誕生しました。11歳で地元安養寺の静心(じょうしん)和尚に師事し、13歳で比叡山延暦寺に登り翌年受戒、天台・密教を修学します。そののち、28歳と47歳に2度の渡宋を果たします。2回目の入宋においてはインドへの巡蹟を目指すも果たせず、天台山に登り、万年寺の住持虚庵懐敞(きあんえしょう)のもとで臨済宗黄龍派(おうりゅうは)の禅を4年にわたり修行、その法を受け継いで建久2年(1191)に帰国しました。

建久6年(1195)博多の聖福寺(しょうふくじ)を開き、『興禅護国論(こうぜんごこくろん)』を著すなどしてその教えの正統を説きました。また、鎌倉に出向き、将軍源頼家の庇護のもと正治2年(1200)寿福寺を建立、住持に請ぜられます。

その2年後、建仁寺の創建により栄西の大願が果たされることになりました。その後、建保3年(1215)7月5日、75歳、建仁寺で死去。護国院にその墓所があります。また栄西は在宋中、茶を喫しその効用と作法を研究、茶種を持ち帰り栽培し、『喫茶養生記(きっさようじょうき)』を著すなどして普及と奨励に努め、日本の茶祖としても尊崇されています。

つまり、栄西とともにもうひとつの主役である建仁寺は、1202年栄西が61歳の時に仏門の集大成として創建されたお寺なわけなんですね。

建仁寺

こちらがその建仁寺でございます。こんな美しい庭をもつお寺であったとは露知らず。。。ま、竜安寺の石庭ですら、何十回と前を通ったにも関わらず参観したことが身としては当然でございますが。

海北友松(かいほうゆうしょう)筆の重要文化財「雲龍図」

海北友松(かいほうゆうしょう)筆の重要文化財「雲龍図」

本坊方丈の玄関に最も近い位置にある「礼之間らいのま」を飾る8面。阿吽あうんの双龍が対峙するように配され、建仁寺を訪れたものを濃墨の暗雲の中から姿をあらわして出迎えます。迫力と威圧感は他の画家の追随を許しません。

これはなんとなくどちらかの本か雑誌で見たことがあるような。。。デス。

で、今回展示されていた雲竜図は上の4幅のほうで3/25(火)から5/6(火)までご覧になれます。下の雲龍図は4月22日(火)から5/18(日)まで展示されるそうなので、両方見たい場合は4月22日(火)から5/6(火)までの期間に見学するのが得策かと。

俵屋宗達(たわらやそうたつ)の最高傑作、国宝「風神雷神図屛風」 Fujinraijin-tawaraya

俵屋宗達(たわらやそうたつ)の最高傑作、国宝「風神雷神図屛風」

さすがにこの画は説明不要なくらい知られていますよね。ただ建仁寺の所蔵であったことは露知らず(汗)

風神は風の、雷神は雷・雨の神であり、自然を神格化したもの。古来日本人は自然の脅威を恐れていました。菅原道真の怨念を宿した雷神は、絵巻などで古くから絵画化され、本図にもその図様が影響を与えていいます。風神と雷神を組み合わせにした場合は、観音の護法神となります。蓮華王院三十三間堂や浅草寺雷門の風神雷神には、そのような信仰の二神が祀られています。

天空の広がりをあらわすような金地に、墨と黒変した銀による雲、ユーモラスな表情の二神が描かれています。この絵を見、その光と空気感を感じることで、おおらかな気分になれるのではないでしょうか。理屈抜きに見ることをお薦めする作品です。

もとは、現在の京都市右京区宇多野にある妙光寺に伝来していましたが、幕末に妙光寺63世全室慈保(ぜんしつじほ)が建仁寺住持となる際に建仁寺に移ったとされています。

この絵には、落款らっかんがありませんが、江戸時代初期の京都で活躍した俵屋宗達(生没年不詳)の作品とされています。

建仁寺 俵屋宗達(たわらやそうたつ)の最高傑作、国宝「風神雷神図屛風」

尾形光琳作「風神雷神図屛風」

そして、俵屋宗達の「風神雷神図屛風」(国宝・建仁寺蔵)を写して尾形光琳が描いた「風神雷神図屛風」(重文・東京国立博物館蔵)も4月8日(火)から5月18日(日)まで本館「日本美術の流れ」7室にて展示されるそうです。風神雷神の姿はほぼ同じですが、色や表情、配置が異なるそうです。コチラの作品は同じ平成館ではなく、本館のほうで展示されるそうなのでお見逃しなく。

そんな感じで他にも栄西や建仁寺に関係した国宝や重要文化財が山ほど展示されておりますので、事前にちょっと勉強をしてからぜひ来館されては如何でしょうか?因みに4/22(火)から5/6(火)までの期間に来館されると両方の「雲龍図」、俵屋宗達と尾形光琳の両方の「風神雷神図屛風」もご覧頂けて一挙両得ですよ。

ってことで、もう1度見学しに行かなきゃならないのかなあ(滝汗)

あぁ、それにしてももう一度京都で過ごしてみたくなりました。夏は蒸し暑く、冬は底冷えしますけど。