吉田茂 vs ダレス会談。

吉田茂―日本の独立に命をかけた男 (別冊宝島 1459) ムック – 2007/8

吉田茂―日本の独立に命をかけた男 (別冊宝島 1459)


最近、濃い歴史ネタは封印してましたが、今日は戦後の日本の平和に大きな影響を与えた吉田茂・ダレス会談が初めて行われた6月22日ということで、ちょっと紹介させてください。

さて、日本の今の平和があるのは誰のお陰論争、よく巷で耳にしますよね。憲法九条、安保、米軍など様々な要因が個々に散見されたりますが、その中でもやはり戦後首相の地位についた政治家の中でも唯一「宰相」の冠をつけても良いのではと言われる吉田茂元首相の存在は抜きんでているのではないかと思います。

遡ること67年前の1950年6月25日、不幸にも朝鮮戦争が開戦するわけですが、その3日前の6月22日、トルーマン政権下で国務長官顧問だったあのジョン・フォスター・ダレスが初来日し、吉田茂首相との会談で日本の再軍備転換、しかもその陸軍兵力を30万人にすることを強硬に要求してきました。因みに満州事変時の日本陸軍の常備兵力が18万人であったことから考えると、30万人の兵力が如何に無謀な要求かお分かりいただけるかと。

しかし、吉田首相とダレスとの会談はその後も数日にわたって繰り広げられ、吉田首相は4kgもの体重を落としながら、ダレスとガチでやり合い、再軍備要求に徹底抗戦します。当時の日本は戦後まだ5年しか経っておらず、もちろん再軍備などできる経済的な余裕などありませんし、平和主義者の吉田首相としては再び日本が戦禍にまみえることなどまっぴらごめんなところデス。

その結果、あの手この手を使って見事ダレスを説き伏せることに成功するんデス。もちろんその後も対日講和条約締結を条件にダレスはことあることに再軍備を要求してくるんですが、戦力未満のものと称した警察予備隊までは譲歩したものの、憲法改正、再軍備に関しては一貫して抵抗し続けました。並の政治家なら確実に折れていたことでしょうね。

その甲斐あって、日本は朝鮮戦争へもベトナム戦争へも出兵することなく、逆にその特需によって戦後の奇跡的な経済復興を遂げたことは今更言うまでもありません。

もしあの時代に徳川家康級の狸オヤジの再来とも言える吉田茂がいなかったら、もしNOが言えない交渉力のない政治家であったなら、日本の再軍備はなし崩し的に行われた挙句、朝鮮・ベトナム戦争への参戦だけでなく、湾岸戦争やイラク戦争までもアメリカに従って参戦させられていたことでしょう。

因みにダレスを説き伏せたあの手この手ですが、一般的には以下のような内容だったと言われています。

1.経済的貧困
2.国民から合意が得らず、逆に国民が共産化する可能性あり。
3.周辺諸国の反感。特に韓国の反日感情を煽る可能性あり。
4.憲法9条の絶対的存在
5.そもそも半島の対立は米中ソの対立。日本は関係ない。

そんなわけで、今日6月22日は吉田茂さんありがとうの日なのですネ。

 

□□□ 東雲乃囁 □□□□□□□□□□

但し、ボクにとっては
ありがとうな日であっても

立場の違う人
考え方の違う人にとっては
吉田茂馬鹿やろうな日なのかもしれません。

そういう思いって
人それぞれだからいいんでしょうね。

みんながみんな
同じことを考えていたら
それはそれで怖いものがあります。