吉田のトイレットペーパー。

sigeru_yoshida_toilet_paper サンフランシスコ講和会議 吉田茂 トイレットペーパー 演説

お尻拭く紙の話じゃありません。


さて、時は1951年9月8日、
朝鮮戦争の真っただ中、
太平洋戦争を含む
第二次世界大戦における
アメリカ合衆国をはじめとする
連合国諸国と敗戦国である日本が
正式に戦争状態を終結させるため、

サンフランシスコにある
オペラハウスにて52ヶ国が参加した
講和会議が開催され、
ソ連、ポーランド、
チェコスロヴァキアの3国を除く
48ヶ国が講和条約に調印したことは
皆様もご存じのことと思います。

以前、コチラで吉田茂首相が
この平和条約の調印で使用した
万年筆のブランドを
調査したこともありましたよネ。

日本国との平和条約 サンフランシスコ講和条約 調印文書 Treaty of Peace with Japan

サンフランシスコ平和条約調印文書

コレはもちろんレプリカですが、
結局万年筆のブランドは分からず。

外交史料館 外務省 麻布

今回は同条約の受諾演説にて
吉田茂全権が読み上げたとされる草稿
「吉田のトイレットペーペー」を
今度こそ本物を鑑賞する為、
麻布にある外交史料館別館
再びお邪魔して参りました。

前回外交史料館にお邪魔した時は
原稿が貸し出し中だったんですよ(涙)

sigeru_yoshida_toilet_paper-1 サンフランシスコ講和会議 吉田茂 トイレットペーパー 演説

で、早速その草稿をついに発見!

「吉田のトイレットペーペー」!?

直径10cmほどの巻物デス。

sigeru_yoshida_toilet_paper-2 サンフランシスコ講和会議 吉田茂 トイレットペーパー 演説

急いで書いたと言われる割には
見事な達筆で書かれています。

とても本物のクラス感ありデス。

がしかし、

実はこれも武相荘
展示されているものと同様
レプリカだそうでして、
本物は隣の外務省外交史料館本館に
厳重に保管されているそうデス(涙)

sigeru_yoshida_toilet_paper-5 サンフランシスコ講和会議 吉田茂 トイレットペーパー 演説 本物

コチラが正真正銘の本物だそうデス。

但し、コピーを撮影したものですが。

sigeru_yoshida_toilet_paper-7 サンフランシスコ講和会議 吉田茂 トイレットペーパー 演説 本物コピー 

ご覧のように
達筆で書かれているももの
あちらこちら修正だらけデス。

当初吉田首相は
英語で演説を行う予定でしたが、
吉田首相の英吾の発音が
あまりにお上手でなかったらしく、

日本の”dignity(尊厳)”の為に
日本語で行ったほうが良いとの
シーボルト米大使の提案により
演説当日に急遽日本語での
草稿書き直しとなったそうデス。

一説には白洲次郎顧問が
以下のような言葉で書き直しを
命じたとされてますが、

講和会議というものは
戦勝国の代表と同等の資格で
出席できるはず。

その晴れの日の演説原稿を、
相手方と相談した上に
相手方の言葉で書くバカが
どこにいるか!

英語の発音が下手だから日本語で、
とは、もちろん言えなかったわけで、
白洲顧問が上述したような機転を
咄嗟に利かせたのでは?
とも言われています。

sigeru_yoshida_toilet_paper  サンフランシスコ講和会議 吉田茂 トイレットペーパー 演説 本物コピー 

アメリカでそんな長い巻物の紙を
よく見つけて来たなと思ったら、
思いっきり繋ぎ合わせてるんですね。

この草稿が出来上がったのが
何しろ演説のその日の朝ですから
シールの貼り方ひとつ見ても
どれだけスタッフが大慌てで
繋ぎ合わせたかがよく分かります。

なお、この平和条約により
日本は南樺太・千島列島の領有を
一旦放棄したとされていますが、
草稿の中に北方領土に関して
言及されている記述があります。

千島列島及び南樺太の地域は日本が侵略によつて奪取したものだとのソ連全権の主張に対しては抗議いたします。
日本開国の当時、千島南部の二島、択捉、国後両島が日本領であることについては、帝政ロシアも何ら異議を挿さまなかつたのであります。
ただ得撫以北の北千島諸島と樺太南部は、当時日露両国人の混住の地でありました。
1875年5月7日日露両国政府は、平和的な外交交渉を通じて樺太南部は露領とし、その代償として北千島諸島は日本領とすることに話合をつけたのであります。
名は代償でありますが、事実は樺太南部を譲渡して交渉の妥結を計つたのであります。
その後樺太南部は1905年9月5日ルーズヴェルトアメリカ合衆国大統領の仲介によつて結ばれたポーツマス平和条約で日本領となつたのであります。
千島列島及び樺太南部は、日本降伏直後の1945年9月20日一方的にソ連領に収容されたのであります。
また、日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島及び歯舞諸島も終戦当時たまたま日本兵営が存在したためにソ連軍に占領されたままであります。

但し、ここでの言及は、
サンフランシスコ講和会議にて
ソ連のグロムイコ外相が、
日本は千島列島及び南樺太を
侵略によって過去手に入れた、
とする発言に対して、
抗議をしただけに留まっていますが、
それとなく択捉、国後両島は
日本領であることを匂わせてます。

そして、1951年10月、
西村熊雄外務省条約局長が
平和条約で放棄した千島列島に
南千島(国後・択捉島)も
含まれるとの答弁を行っており、
国後・択捉島は一旦放棄したとの
認識になってしまった模様デス。

但し、同じ答弁の中で、
歯舞群島・色丹島に関しては
北海道の一部であり、
千島に含まれないとしています。

さらに5年後の
1956年2月11日、
今度は衆議院外務委員会で、
森下國雄外務政務次官が
アメリカからの圧力もあってか
国後・択捉島は日本が放棄した
千島に含まれないとの答弁を行い、
同年12月には明白に四島返還論が
日本政府の見解であることを
公にしています。

露プーチン大統領の
2016年12月16日の訪日予定で
今まさに北方領土問題の解決が
旬のニュースとなっていますが、

コチラでも書いたように
何しろライオンの剛胆さと
キツネの狡猾さを併せ持った
プーチン大統領なだけに
お金だけ取られてドロンされる、
なんてことにならないよう
十分注意して頂きたいものデス。

PS.

東洋経済オンラインにて
鈴木宗男氏がこの点に関して
詳しいことを述べられていますが
この史実が正しいものと思います。

「鈴木宗男氏「北方領土への誤解が多すぎる」
安倍・プーチン1215長門会談へ大きな期待