天下無双の彦根城。

国宝 彦根城

アスファルトの道。
鉄筋コンクリート製の
科学館のような内部の天守閣。

そんなのは城と呼べない。

東雲乃風


さて、2017年8月20日(日)

日本最強との呼び声が高い
これぞ本物の城とも言われる
井伊家が遺した彦根城に
お邪魔してまいりました。

先に訪問した
松本城犬山城
国宝の名に恥じない
素晴らしい現存天守でしたが

城郭も含めたとするなら
この彦根城が二歩も三歩も
抜きんでた存在なのかなと。

以下、その天下無双の
彦根城をとくとご覧ください。

国宝 彦根城 井伊直政像

JR彦根駅前の井伊直政像。

鬼の角を伸ばした兜と
真田信繁同様の赤揃えの鎧が
井伊直政のトレードマーク。

酒井忠次、本多忠勝
榊原康政の猛将三名と並ぶ
徳川四天王のひとりデス。

そして

今放送のNHK大河ドラマ
女城主直虎より家督を譲り受けた
井伊家24代目に当たります。

1600年、関ヶ原の戦い
東軍主力として奮闘した直政は
石田三成の領地であった
佐和山藩18万石を与えられるも

直政は佐和山城を廃城とし
新たな城の建設を目指します。

しかし

度重なる戦傷が原因か直政は
彦根城築城に着手することなく
関ヶ原の戦いから僅か2年後の
1602年、51歳の若さで
生涯を閉じてしまうのデス。

その後、直政の比類ない功績に
報いろうと考えた徳川家康は
金亀山への彦根城の築城を
天下普請として許可したのでした。

国宝 彦根城

彦根城天守閣。

国宝 彦根城

二の丸佐和口多聞櫓と外堀。

国宝 彦根城 廊下橋 天秤櫓

廊下橋。右の建物が天秤櫓。

1622年、複合式望楼型
3重3階地下1階の彦根城完成。

ご覧の通り明治維新にて
城郭も天守も破却されることなく
美しい姿を今に伝えています。

国宝 彦根城

もちろん天守閣は木造製。

余計な展示品など皆無で
部屋一面に板の間が続きます。

国宝 彦根城

現存天守ならではの急階段。

松本城と比べれば
かなり安全な階段ですが
それでも相当に危険デス。

出来れば足腰元気なうちに
登っておきたいところデス。

国宝 彦根城

天守最上階の天井には
複雑怪奇に曲がった梁が
これまた複雑に組まれています。

再利用された建材が多く
中世日本の知と学と技が
組み合わさって造られた
天守であることが分かります。

国宝 彦根城

眺望はもちろん絶景。

琵琶湖だって一望デス。

国宝 彦根城

真ん中に見える小高い山が

三成に過ぎたるものが二つあり。
島の左近と佐和山の城。

の句で良く知られる
石田三成の居城があった佐和山。

残念ながら佐和山城は
直政により破却されたため
ほとんど何も残ってないそうな。

石田三成マニアの個人の方が
建てたという佐和山城が
チラリと見えてはいましたが。

そして、彦根城最大の見所・・・

国宝 彦根城 玄宮園

庭園・玄宮園から見る天守。

これほど贅沢な景観は
日本広しといえどもなかなか
目にすることが出来ないかと。

明治天皇の北陸巡幸に同行した
大隈重信が彦根城に立ち寄り
あまりの美しさに消失を惜しみ
明治天皇に保存を願い出て
城の解体が中止されたとか。

大隈重信グッドジョブです。

国宝 彦根城 楽々園

さらに玄宮園に隣接する楽々園。

如何に中世の日本が
機能美に長けていたか
とてもよく分かる御殿デス。

そして、さらに・・・

彦根城博物館

本丸御殿のあった場所に
本丸御殿のように再現された
彦根城博物館。

館内はエアコンの効いた
近代的な展示の部屋と
お殿様が居住していた
書院造の部屋の二本立てデス。

彦根城博物館

朝鮮からの使者が
江戸の行き帰りに通った道を
鳥瞰して描いた絵だそうデス。

鎖国していたとは言いつつ
隣国・朝鮮とはしっかり
国交があったというわけデス。

彦根城博物館

右は彦根藩井伊家三代目
井伊直澄所用と伝わる具足。

などなど井伊家に纏わる
沢山のお宝が展示されてます。

続いて書院造の建物のほうへ。

彦根城博物館

庭園。

彦根城博物館

中庭。

彦根城博物館

茶室の天光室。

彦根城博物館

御亭。

お殿様のくつろぎ部屋。

彦根城博物館

御寝之間。

いわゆるお殿様の寝室。

それ以外にもお殿様の
居住していた部屋などが
いくつか再現されています。

内堀の外側には巨大な
厩(馬屋)も再現されてたり。

以上

お城を丸ごと堪能できる彦根城
一度見学されては如何でしょ?

PS.

但し、いきなり彦根城を
見学してしまうと
他のお城を見たときに
ちょっとがっかりしてしまう
かもしれませんので

彦根城の見学はあとのほうに
取っておいたほうが
いいかもしれません(笑)