Magazine for City Boys
冒頭表紙は、1976年6月に
創刊されたPOPEYE第1号の復刻版。
ナント先日発売された
POPEYE40周年記念号に
創刊号が丸ごと一冊付録として
ついているのだ(驚)
平凡出版の文字の上にあった
価格のだけが消されているが
創刊号の実売価格は780円。
今の通常号も700円代なので
変わってないということだ(驚)
因みにこの創刊号復刻版、
編集内容は当時と同じものだが
広告だけが全てBEAMSのモノに
置き換えられている。
がしかし、
BEAMSの広告に違和感はない。
例え復刻版に合わせた広告に
置き換えられていたとしても。
ファッションを含む
人間のライフスタイルなんて
たかが40年ぐらいのの期間では
もはや変わらないのかもしれない。
本の価格同様にだ。
【左】初代創刊編集長 木滑良久氏
【右】初代創刊副編集長 石川次郎氏
さて、2016年6月17日放送の
WOWOWプライムにて
2016年のシティボーイ
ーPOPEYE創刊40年ー
と題した40周年を記念した
特別番組が放送されていたので、
その放送コンテンツの中で
特にPOPEYEの土台を作った
創刊メンバーにスポットを当てて
以下簡単にご紹介したいと思う。
まずはお馴染みのこのお方から。
表紙のタイトルロゴと
ポパイのイラストを描いた
平凡出版(現マガジンハウス)の
アートディレクターであった
天才・堀内誠一氏。
もはや説明は不要かと。
その堀内氏の輝かしい経歴は
ぜひコチラを参照頂きたい。
木滑良久初代創刊編集長
(1930年2月22日 – )
創刊当時は46歳。
今は86歳になられているが、
ご覧の通り全くやつれた感なく、
その言動も元気はつらつである。
こんな爺さんになりたいものだ。
現在マガジンハウス取締役最高顧問。
石川次郎初代創刊副編集長
(1941年7月5日 – )
創刊当時は34歳。
今は74歳になられたが、
次郎さんも相変わらず若い。
亡くなった僕の両親と同じ齢だが、
軽く10歳以上若く見える。
小林泰彦氏。
(1935年1月3日 – )
当時はエッセイスト兼
イラストレーター。
創刊号でのLA特集を
仕掛けた発案者のひとり。
81歳になられているが、
小林さんも未だ衰えた雰囲気ナシ。
松山猛氏
(1946年8月13日 – )
ライターとして
創刊号のUCLA特集を担当。
当時は1週間もUCLAで
取材を重ねていたそうだ。
都築響一氏(1956年-)
ライターとして創刊に加わる。
都築氏曰く、
当時は編集スタッフが揃った
編集会議というものが
一度も開催されたことはなく、
編集長や副編集長との
マンツーマンでの
ミーティングだけで
企画編集が決められていたとか。
以上、40年前の
POPEYE創刊メンバーたちが
立場や場所は違えど、
今なお元気に活躍している。
そんな姿を見ていると
コチラまで元気になってくる。
これぞまさにPOPEYE伝説だ。
WOWOWプライム再放送予定
6/25(土)午前8:00~
7/13(水)深夜1:00~
お見逃しなく。