壊・関 東 大 震 災 。

Š関東大震災

1923年(大正12年)9月1日 11時58分32秒


関東大震災発生。

死者・行方不明 10万5千余。

折しも加藤友三郎首相が
震災発生8日前の8月24日
大腸ガンの悪化で突然の他界。

国民が喪に服する中で発生した
未曽有の自然災害でした。

なお、相模湾沿岸部には
東日本大震災と同様
巨大津波が襲来したそうで
鎌倉由比ヶ浜や小田原では
10mほどの津波に襲われたとか。

幸いまだ沿岸部には
民家が少なかった時代で
大きな被害はなかったようですが
沿岸部に民家が急増した今の時代だと
相応の備えが必要かもしれません。

sengo_japan 営団地下鉄 1923(大正12)年、関東大震災直後の上野公園付近

上野公園付近の市電。

当時の希望と言えば
市電の車両779両を焼失するも
5日後の9月6日には運転を再開
11日間の無料運転を実施したそうデス。

PS.

当時、僅か1日だけ首相代理を
務めたのは外務大臣・内田康哉。

※9月2日に山本権兵衛が首相就任

1921年(大正10年)11月4日
平民宰相と呼ばれた原敬首相が
東京駅構内で暗殺された際にも
内田康哉は外務大臣を務めており

宮中席次であったことから
(首相の隣に座っていたため)
2度に渡って首相代理を務める
という稀有な経験をしています。

但し、外務大臣としての実績は
関東軍が起こした満州事変後の
関東軍司令官・本庄繁との面会を機に
急進的な領土拡大派に転向し
満州国建国を国家承認するなど
世界を敵に回す失策を演じたとか。

 

□□□ 東雲乃歴 □□□□□□□□□□

「工藤会」壊滅作戦を指揮した検事、反社との戦いに捧げた生涯 人生最大のピンチとは

工藤会壊滅作戦を陣頭指揮した
今は亡き土持敏裕元検事。

こんな熱い正義感をもった検事が
存在していたことに激しく感動デス。