伐・江戸薩摩藩邸焼討事件。

江戸薩摩藩邸焼討事件

もはや手切れでござる~


さて、「討ち入り」と言えば
忠臣蔵の元ネタとなった赤穂事件
吉良邸討ち入りがつとに有名だけど

実はもうひとつ歴史好きに
よく知られる討ち入りが
今から155年前の1868年の今日
1月19日に江戸で起きている。

俗にいう江戸薩摩藩邸焼討事件だ。

徳川慶喜による大政奉還によって
討幕の密勅が取り消された薩摩藩は
このままでは再び徳川幕府に
新政権の主導権が握られるのではと危惧。

その為、一か八か
幕府との武力衝突を画策しようと
三田にある薩摩藩上屋敷など
江戸各所に集まる浪人たちを
500名以上集めて武装集団化し
放火・掠奪・暴行などなど
過激なテロ行為を繰り返し
江戸市内を大混乱に陥れたのだ。

これには江戸の留守を預かる
老中・稲葉正邦(淀藩)もブチ切れ
庄内藩家老の松平権十郎に以下命令を下す。

薩摩藩邸に賊徒の引渡しを求めた上で、従わなければ討ち入って召し捕らえよ。

そして、1月19日未明
庄内藩の石原倉右衛門を先頭に
上山藩、鯖江藩、岩槻藩
合わせて千人ほどの藩士が
薩摩藩上屋敷を取り囲んだのだ。

交渉役の庄内藩士・安倍藤蔵が
薩摩藩邸を単身で訪問し
留守役の篠崎彦十郎を呼び出し
賊徒を引き渡すよう通告する。

がしかし、、、

もちろん篠崎は引き渡しを完全拒否だ。

そこで、安倍が諦めた風を装って
薩摩藩邸のくぐり戸を出たところで

もはや手切れでござる~

と、安倍が合図を掛けるように叫び
庄内藩の討ち入りが一気に決行された。

そして、薩摩藩邸は炎に包まれ
多数の死傷者が出たのだった。

この討ち入り事件を切欠に
薩長と幕府は鳥羽伏見で戦い
さらには戊辰戦争へと拡大していった。

なお、西郷隆盛が
テロ行為の黒幕とされてきたが
確たる証拠は見つかってないようだ。

 

□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□

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