なぜ日本橋の上に首都高を走らせてしまったのか?

日本橋の青空、3200億円ナリ 首都高地下化に賛否


首都高速の日本橋区間約1.2kmの地下化が決定したそうだ。

総事業費は約3200億円!?驚いたことに東京スカイツリー(総工費650億円)の5本分だ。

近い将来車社会が終焉し壮大な無駄遣いに終わるか、それとも1000年のレガシーとして復活するか、日本橋経済界の腕の見せ所である。

しかし、そもそもなぜ日本橋の上に首都高なんて架けてしまったんだろう?反対意見はでなかったんだろうか?と不思議に思って昭和38年以前の様子を調べてみた。

すると実は日本橋の下を流れていた日本橋川は、当時川の流れがほとんどなくめちゃくちゃ汚かったそうで、そのため昭和39年開催の東京五輪に向けて首都高が最初に計画された時はもともと川の水を全部抜いて川床に首都高を走らせようとしてたらしい。

ところが、台風による浸水被害が日本各地で発生したため、日本橋川を残して大雨の排水路を確保すべきだという声が強まった。そのことがきっかけとなり、それなら汚ない川を首都高の高架で蓋をして、その上を車が走ったほうが未来っぽくてカッコ良くね?という意見が新たに生まれた。

その結果、日本橋住民の反対意見を押し切り、日本橋川は残されたものの日本橋の真上に高速道路が架けられてしまったというわけだ。

つまり当時の風潮からすれば日本橋は存在感がなかったに等しかったということである。そう言えば有楽町の数寄屋橋だって首都高の建設で川は埋められ、昭和33年に数寄屋橋は取り壊されている。

察するところ都市景観の美的センスもその時代の感性によって日々刻々と変化してしまうということなのだろう。

さあ、どうする?日本橋。工期は10-20年、もう二度と無駄遣いは許されない。