山 口 。

2018年3月24日(土)午後


大村益次郎先生ゆかりの鋳銭司村に訪問した後、昼食もとらずにJRで慌てて向かった先はこれまた幕末・維新の歴史の宝庫・山口駅。

子供の頃、嫌というほど耳にした山口の観光CM「おいでませ~山口へ」のキャッチフレーズが思い出されます(笑)

四辻駅から45分ほどで山口駅に到着。最初に訪れたのはバスで15分ほどの場所にある名刹・瑠璃光寺。

瑠璃光寺の創建は室町時代の1471年ですが、この五重塔の建立はそれより早い1442年頃だそうデス。

本来なら池越しに見える五重塔が見所なんですが、この日は池を工事していたため、残念ながら梅園越しの五重塔デス。

ご覧のように建築様式に独特の風格があり、京都の醍醐寺、奈良の法隆寺と並び日本三大五重塔とも評価されています。

さらに瑠璃光寺にはご覧の長州藩第13代藩主・毛利敬親、長州藩第14代当主・毛利元徳、元徳を継いだ毛利元昭の幕末から明治までの毛利家3代の墓所が建立されています。徳川将軍家に勝るとも劣らぬ立派な墓所で驚きデス。

そして、瑠璃光寺のすぐ近くに遺されている山口政事堂(山口藩庁)の門デス。

実は幕末の1862年、長州征伐による海上からの萩城への攻撃を避けるため、萩から内陸地であるこの山口へ藩庁を移してるんデス。もちろん徳川幕府には内緒デス。

因みに大村益次郎先生も毎日何時間も掛けて鋳銭司村から徒歩で通いこの門をくぐったそうな。

薩摩藩との歴史的な会談が行われた旧家安部家の離れ・沈流亭(ちんりゅうてい)。

坂本龍馬と中岡慎太郎の斡旋による薩長同盟締結後、2度の長州征伐を単独で退けた勢いのある長州藩を討幕の仲間に引き入れようと企む薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀の三人は山口に訪れた際にこの沈流亭に宿泊。応対した長州藩の桂小五郎(木戸孝允)、広沢真臣、品川弥次郎、伊藤博文らとこの沈流亭2階にある8畳の間で討幕に向けた本格的な同盟及びその戦略についての密議を重ねたそうデス。

現在は瑠璃光寺の五重塔が見える香山公園内に移築されてますが、当時はもう少し山口駅近くにあったそうデス。

そして、この日最後に訪問したのが、瑠璃光寺から徒歩10分ほどの場所にある山口市菜香亭。

山口の迎賓館として明治10年に創業した料亭デス。

命名したのは元勲・井上馨。

残念ながら現在は観光施設として見学できるだけで料亭の営業はやっていません。

山口出身の佐藤栄作元首相がよく宿泊した部屋なども見学することができます。

最大500名を収容したとされる大広間。

この大広間には菜香亭に訪れた明治維新後の著名政治家たちの扁額が沢山展示されています。

以下、ごく一部をご紹介します。

木戸孝允の書。

「清如水平如衡」:きよきことみずのごとく、たいらかなることはかりのごとし

伊藤博文の書。

「一家天地自春風」:一家の天地はおのずから春風

田中角栄の書。

「微風和暖」:そよ風が吹く和やかで暖かい風景?

因みにシルクの生地に毛筆で書かれているため、どの扁額もほとんど劣化してないんだとか。

以上、駆け足でしたが、幕末から維新までの歴史の香りが未だ残る山口からのレポートでした。

長州の旅 第一弾:大村益次郎篇
長州の旅 第二弾:山口政治堂篇