大阪城侮るなかれ。
昨年の姫路城に続いて
今年の紅葉シーズンに訪れたのは
天下の名城『大阪城』。
前回訪れたのが学生時代なので
かれこれ32年振りの登城となった。
因みにコレが当時の写真(汗)
木造の姫路城と違い
コンクリートで出来てて
中にはエレベーターもあるけど
やっぱり大阪城も負けてない。
外からの威容は半端ありません。
JR大阪城公園駅にて下車。
青屋門に差し掛かって
まず驚いたのはこの東外堀。
さて、時は1614年12月、方広寺鐘銘事件に端を発した豊臣家と徳川家が勝負を賭けた大阪冬の陣が開戦。しかし、数に勝る徳川軍もさすがに堅固な大阪城を落とすのは至難の業。結局決着をつけることができず、1カ月ほどで停戦の和議が結ばれる。
その和議の条件の中に大阪城の惣構・二の丸・三の丸の破却と外堀と内堀の両方の埋め立てが含まれていたそうであるが、当時もこれほど巨大な堀であったなら、さぞかし埋めるのが大変だっただろうなと推測。
※因みにボクの高校生時代には、家康がずるをして外堀だけを埋める約束を破り、勝手に内堀も埋めたと教えられていたが、現代においてはもともと外堀と内堀両方が埋められる条件になっていたという説が一般的な模様。
因みに大阪城の紅葉も半端ない。
内堀に架かる極楽橋前にて。
内堀には大阪城御座船も出航してる模様。
因みに乗船料は大人1500円。
豊臣秀頼・淀君ら自刃の地。
1615年6月、大阪夏の陣の敗戦を悟ると、秀頼、淀君、さらには大野治長や真田信繁の嫡男・真田幸昌(大介・当時13歳)らもこの「山里丸」と呼ばれた茶室(秀吉時代天守閣の北側、現天守閣の北西側)で命を絶ったそうな。
さ、いよいよ天守閣に登城だ。
豊臣方・真田幸村(信繁)隊と
徳川方・越前・松平忠直隊の
攻防を表したミニチュア。
天守閣の中は展示物でいっぱい。
すべて鑑賞するには
軽く2時間掛かると
思っていたほうがいいかも。
黒田長政が描かせた「大坂夏の陣図屏風」右隻全図の中の真田幸村隊。
母衣を背中にしょった
越前・松平方の武将。
鹿の角の兜で知られる真田幸村。
天守閣の最上階より紅葉が美しい。
大阪城西の丸庭園 大阪迎賓館。
天守閣のファサードには
金色に輝いた虎と鶴。
金の鯱と虎。
金の鶴。
贅沢この上なしな意匠。
石垣も他の城を圧倒する存在感。
桜門の内側にある
大阪城内一どころか
日本一の鏡石を誇る巨石『蛸石』。
その大きさはなんと
畳36枚分(高さ5.5m、幅11.7m)
そして重さ130トン!?
普請を担当したのは
岡山藩主の池田忠雄。
石は備前の犬島より運び出したそうな。
名前の由来は
石の左下部分の模様が
蛸のように見えるからだとか。
続いては京橋門枡形にある
城内で2番目に大きな巨石『肥後石』。
こちらは畳33枚分で
普請を担当したのは
蛸石と同じ岡山藩主の池田忠雄。
この肥後石は小豆島より
運び出したそうな。
こんな巨石を運び出すことが
できた江戸時代の知恵に驚嘆。
ライトアップされた大阪城天守閣。
美しいのひとこと。
お金にならないモノを
建てるくらいなら
大阪城を見倣って
江戸城天守閣如何でしょ?
観光客また増えちゃうけど(汗)
□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□□□□
今旅の大阪までの足は
初めてのジェットスター航空。
機内持ち込み・預け入れ
それぞれ荷物の重量に応じて
別料金がかかる点がややこしい。
因みに今回の荷物は
機内持込手荷物は4.7kg
受託手荷物は8.5kgでした。
次回の参考にしたいと思います。