千利休の功罪。より
「侘び寂び」とは・・・
今風にいう
侘び = ミニマル
寂び(錆び) = エイジング
つまりは「経年変化した簡素で自然な機能美」とボクは勝手に解釈している。
特に「侘び」については、質素で簡素な状態にこそ日本の精神文化は宿るとして千利休が完成させたものと半ば伝説化されている。
であれば余計にこんな偶然に心揺さぶられる。
究極の質素である「侘び」の精神を説いた千利休、その反対に華麗な桃山文化を生んだ豊臣秀吉、なにゆえ対極とも言える世界観をもったふたりの天才が同時代に生まれ、幸か不幸か織田信長を通じて引き合わされてしまったのか。
日本の歴史もなかなかドラスティックなことをやってくれます。
□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□□□□
但し、秀吉が愛用した「黄金の茶室」は、千利休が監修したそうな。
千利休としては嫌々だったんかな?苦笑
PS.
利休の子孫であられる武者小路千家第15代家元後嗣・千宗屋さん曰く、「侘び茶」とは自分自身のできる精一杯を尽くしたおもてなしの茶のことであって粗末を装うことではないのではないかと「英雄たちの選択」で語られていた。
よって、天皇に献茶するための黄金の茶室は、秀吉ができる精一杯尽くしたおもてなしということで、これも侘び茶に相応するのではないかと。
また、黄金の茶室は極楽浄土を表現したものと考えれば、現神人である天皇を招く場として相応しいのではないかとも。
なるほどである。
そもそも黄金というモノはその希少性から崇められている素材であり、もし黄金が木材のように巷に溢れ、逆に木材に希少性があれば、煌びやかで贅沢に感じている黄金の茶室も質素に見えるかもしれないのだ。
そう考えると千利休は黄金と粗末なモノを区別し相対的な美や価値を見出していたのではなく、素材の属性に拘らない絶対的な美や価値を見出していたのではないかと思う。
そう考えると上述した詫び寂びの概念もまた変わってくる。また一から考え直しである。トホホ。