2021.11.19(金)12:00 ~
元亀2年(1571年)、畿内を制した織田信長が細川藤孝(細川幽斎)に与えられた城がご覧の・・・
勝 龍 寺 城 。
細川忠興・ガラシャ像
明智光秀の娘・玉ことガラシャが藤孝の嫡男・忠興に輿入れし、新婚時代を過ごしており、天正2年(1574年)には城内にて、三条西実澄から細川藤孝に対し「古今伝授」が行われている。さらには天正10年(1582年)6月13日、山崎の戦いで秀吉軍に敗戦した明智光秀が帰城して一時立て籠もった城としても知られる。
模擬隅櫓と堀跡
模擬櫓(勝竜寺城公園管理棟)と模擬塀
枡形虎口前の高麗門
現在、城内は公園として整備されているが、細川藤孝城主のときは天守閣に相当する高層建築と本丸があったそうな。
城内からは天王山も見渡せる。
石垣に使われていた仏石?
勝竜寺城北門側
本丸外の北東に位置する「横矢掛かりの虎口」
秀吉軍に包囲された明智光秀がこの虎口を通って伏見方面に敗走したとも伝わる。
そして、勝竜寺城を後にして訪れたのが距離にして1kmほど離れた場所にあるこの・・・
恵解山古墳(いげのやまこふん)。
山崎の戦にて明智光秀が本陣を置いたのではないかと推測されてる場所のひとつ。
目視でも模型でもはっきり分かる前方後円墳。
上からは天王山も一望できるため、見晴らし的には悪くないと思われるが果たしてどうだろうか。
□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□
初日のランチは餃子の王将(笑)
大学時代のソウルフードだもんネ。