20分歩いた甲斐ありました。
さて、先日ご紹介しました
伊勢神宮のお奨め参拝経路とその順序。
におきまして、
猿田彦神社の次に
お奨めさせて頂いたのが
今回初めてお邪魔した
皇大神宮の別宮 月読宮デス。
心洗われる清々しい空気感は
数ある伊勢の神社の中でも
トップクラスかと思われます。
まずは月読宮の位置ですが、
内宮からなら徒歩20分、
猿田彦神社から徒歩10分ほど。
バスなら三重交通の
外宮・内宮循環バスの
中村町バス停で下車下さい。
中村町バス停から徒歩5分。
表参道口鳥居
月読宮への入り口は2つあって
ひとつは中村町バス停から近い
県道12号線(御幸道路)に面する
こちらの入口デス。
もうひとつは、
コチラの国道23号線に面する
こちらの裏参道口ですが、
ボクのお奨めの入り口は
こっちじゃなくて先ほどの
断然12号線沿いの
表参道口になります。
その理由はと申しますと、
ご覧のような
木洩れ日溢れる神々しい参道を
のんびり歩いていくことが
出来るからデス。
穴場中の穴場からか、
GWでも人影もまばらで
ざわつき感は皆無です。
この澄んだ空気の参道を歩いて
自然に呼吸しているだけで
ご利益だけ身に纏えたような
夫婦岩や外宮、内宮とは
また違った意味での
独特のパワースポット感を
感じることが出来るんデス。
参道を3分ほど歩くと、
薄らと社殿が見えてきます。
手水舎
宿衛屋神札授与所
こちらでご朱印も頂けます。
いよいよ社殿は目の前デス。
シグマの広角レンズを
持ってこなかったのは大失敗!
昨年10月の遷御によって
新しくなった神明造の社殿が
横に4つも並んでるんデス。
さすがに望遠レンズじゃ
カメラに収まり切りません(涙)
右から
(2)月讀荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)
(1)月讀宮(つきよみのみや)
(3)伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)
(4)伊佐奈弥宮(いざなみのみや)
()内の数字は参拝順序デス。
因みに月読宮だけが
ほかの拝殿や鳥居と比べて
若干大きく造られています。
一番左端の伊佐奈弥宮
さて、日本書記によれば、この月読宮のご祭神 月読命(つくよみのみこと)は、日本列島を創造したとされる父 伊佐奈岐宮のご祭神 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と母 伊佐奈弥宮のご祭神 伊邪那美命(いざなみのみこと)の間に生まれ、その両親より夜之食国(よるのおすくに)を治めるようにと委任されたことから所謂 月の神様となったそうです。古事記によれば黄泉国にて腐乱していたイザナミを一方的に突き離し、葦原中津国に逃げ帰ったイザナギが禊ぎをした時に右目から生まれたとされています。つまり、どちらにしろイザナギが父親ということで、ツクヨミは太陽の神様こと皇大神宮のご祭神 天照大御神の弟にあたり、ヤマタノオロチを退治したことで有名な須佐之男命(スサノオ尊)の兄にあたるという非常に高貴な血筋の神様なのです。因みに月読命は外宮の別宮 月夜見宮のご祭神とご同神であられますよ。漢字は違いますが、読み方は同じですもんね。
そして、その月読宮の向かって左側に、古事記では喧嘩別れ(離婚?)したはずの父 伊邪那岐命の社殿と、その左横に別れたはずの母 伊邪那美命の社殿が仲良く並んでいるではないですか。その確かな理由は定かではありませんが、もともと天照大御神と月読命のふたりの両親という高貴な立場にも拘わらず伊勢神宮で祀られていなかったこと、第56代清和天皇の867年(貞観9年)になってようやく伊佐奈岐宮と伊佐奈弥宮の宮号が与えられたということを考慮しますと、867年の少し前ぐらいに異常気象とか、地震とか、流行病とか何か良からぬことが日本国内で発生し、伊邪那岐命と伊邪那美命の存在を蔑にしていたからではないかと問題提議されたからかもしれませんね。ちょっと取ってつけた感は否めませんが(汗)因みに現在のように四宮それぞれが個別の社殿を持つようになったのは明治6年になってからだそうです。
以上、このようにとても高貴な神様たちが祀られたお神社でありますので、ぜひ伊勢に訪れた際は時間を無理くりつくってでもお参り下さいませ。