2025.01.02 11:00
時は平安時代の940年。
東国で起こった
平将門の乱鎮圧のため
宇多法皇の孫であった寛朝僧正が
高尾山 神護寺に安置されていた
空海作の貴重な不動明像を
関東に出開帳させたところ
まもなく将門が討たれたことから
朱雀天皇は、不動明王の霊験と歓喜した。
ところが、、、
寛朝が帰京しようとしても
成田の地から不動明王像が動こうとしない。
結果、この地に寛朝が開山し
現在の成田山新勝寺の前身にあたる
神護新勝寺の寺号が下賜された。
それが成田山新勝寺の謂れとされる。
なんの縁か昨年11月末
高尾山 神護寺に参拝した縁もあって
此処成田山新勝寺に初参拝してみた次第だ。
がしかし、、、
三が日の中日に参拝したのはまずかった。。。苦笑
参道は人・人・人の波!
総門を潜った頃には
2時間の時が過ぎていた(涙)
ようやく仁王門に到着。
空海作の不動明王が安置されてる
大本堂到着までおよそ3時間経過!?
大本堂の階段から後ろを振り返ると・・・
やっぱり人の波・波・波(苦笑)
これで2025年はええ年になるはずやで。
因みにうなぎで有名な川豊は、、、
まさかの7時間待ちだった!?
□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□
さすがにインドには敵わんな。