2024.11.25 mon 10:30
昨年同様、京都市内の紅葉が
暖冬の影響で遅れてたこともあり
こりゃあかんわと藁にも縋る思いで
京都北西の山間部にバスで向かってみた。
で、目指したところは
清滝川上流に位置する三尾のひとつ
高尾山 神護寺
昨夏、東京国立博物館で開催された
《神護寺―空海と真言密教のはじまり》にも
2度お邪魔したという縁もあるしネ。
がしかし、、、
京都駅から乗り込んだJRバス
まさかの超満員状態約80分!?
しかも立ちっぱなしになるとは!?涙
因みにご高齢の方がめちゃ多いので
仮に席が空いても座ることは不可能だ。
とはいえ到着すればテンションUP!
やっぱり市内より気温低いし
ご覧の通り紅葉は進んでるのだ。
まだ朝食を摂ってなかったので
到着早々食事処・硯石亭にて・・・
うどんで腹ごしらえ。
目の前に紅葉が広がりまくり
硯石亭でのお食事、ぜひお薦めしたい。
で、歩くこと10分少々で神護寺の楼門が・・・
ついに神護寺到着!
境内はとても空いてるし
それほど広くもなく
1時間もあれば回り切れる感じだ。
とはいえ由緒ある建物も多い。
和気公霊廟
和気清麻呂を祀った霊廟
てか、そもそも神護寺は
和気清麻呂が建立した高雄山寺が起源
それゆえに最初に参拝しときたい霊廟だ。
そして、こんな伝承も。
時は769年、、、
宇佐八幡宮の神官を兼ねていた
大宰府の主神・中臣習宜阿曾麻呂が
宇佐八幡神の神託として
称徳天皇が寵愛していた道鏡を
皇位に就かせれば天下太平になると奏上。
その奏上に対して称徳天皇は
その神託が事実かどうかを確認するため
和気清麻呂を宇佐八幡宮に派遣することにした。
時の権力者であった道鏡は
予め和気清麻呂を懐柔しようと企んだが
和気清麻呂は道鏡に丸め込まれることなく
「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ。
無道の人(道鏡)は宜しく早く掃い除くべし」
との神託を称徳天皇へ報告し
道鏡の皇位就任は阻止されたそうな。
また、和気清麻呂は
桓武天皇の時代に長岡京から
平安京への遷都を上奏したことでも知られる。
なお、もともとこの場所には
「護法善神社」と称された
和気清麻呂の霊社が建立されていたが
1886年、明治天皇の勅命により
京都御所・蛤御門前の護王神社に遷座された。
明王堂
もともとは空海作の不動明王が
安置されていたお堂だったらしいが
940年に起こった平将門の乱鎮圧のため
寛朝僧正が関東に出開帳させたところ
まもなく将門が討たれたことから
朱雀天皇は、不動明王の霊験と歓喜した。
ところが、寛朝が帰京しようとしても
不動明王像が動こうとしないということで
結果、成田の地に寛朝が開山し
現在の成田山新勝寺の前身にあたる
神護新勝寺の寺号が下賜されたそうな。
それ故に空海作の不動明王は
成田山新勝寺の大本堂内に
安置されたままとなり
明王堂の不動明王は平安中期ごろ
別の不動明王に置き換えられたとか。
さ、続いては金堂に向かう。
神護寺の大階段
金堂
須弥壇中央の厨子に
782年-806年造立とされる
国宝の薬師如来立像が安置され
両脇に重要文化財の日光・月光菩薩立像と
十二神将立像、四天王立像が安置されている。
どれも東京国立博物館にて鑑賞済み。
閼伽井(あかい)
前身の高雄山寺において
空海が行った灌頂の浄水として使用するため
空海自ら掘られたと伝えられる井戸。
仏教では仏様にお供えする水のことを
閼伽井(あかい)と呼んで大切にしているらしい。
多宝塔
国宝・五大虚空蔵菩薩を安置
大師堂
板彫弘法大師像を安置
毘沙門堂
毘沙門天立像と
両脇に控える吉祥天像
善膩師童子の三尊像を安置
続いてはかわらけ投げだ。
神護寺といえばかわらけ投げだよね。
フリスビーのように投げればOK。
因みにかわらけのお代は3枚で200円
なお、神護寺と言えば
伝・源頼朝像を含む神護寺三像を
安置している寺院ということでも知られる。
毎年5月1日から5日に開催される
神護寺の曝涼(虫干し)展で
京都国立博物館に寄託されている
伝頼朝像と伝重盛像の2つだけ一般公開。
もうひとつの伝光能像は
東京国立博物館に寄託されてるので
今のところ東京国立博物館で見るしかない。
さてと、続いてはお隣の西明寺へ
□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□
コレは騙されるかも(汗)
こんなの使う犯罪が増えませんように。