吉田松陰先生、ここに眠る。

松陰神社 吉田松陰 shoinjinjya (1)

東急世田谷線
松陰神社前駅から徒歩5分。


安政6年(1859年)10月27日、
老中首座であった間部詮勝の
暗殺を計画した罪状によって
先日訪問した伝馬町刑場にて
斬首刑となった吉田松陰は

1863年、東京荒川区にある
小塚原回向院にあった墓から
高杉晋作などの門人によって
長州藩主の別邸のあった
世田谷のこの地に改葬され、

1882年、
この松陰神社が創建されました。

松陰神社 吉田松陰 shoinjinjya (2)

大正初期の神社社殿

松陰神社 吉田松陰 shoinjinjya (3)

松陰神社 吉田松陰 shoinjinjya (9)

現在の神社社殿

松陰神社 吉田松陰 shoinjinjya (7)

吉田松陰先生石像

松陰神社 吉田松陰 shoinjinjya (6)

松陰先生50年祭に際して
ゆかりの著名人らによって
寄進された石燈籠

松陰神社 吉田松陰 shoinjinjya (5)

伊藤博文、山形有朋、
乃木希典など錚々たる
メンバーが奉納者デス。

松陰神社 吉田松陰 shoinjinjya (10)

松下村塾のレプリカ

※土日祝のみ雨戸開放
午前9時から午後4時半
(但し、荒天除く)

松陰神社 吉田松陰 shoinjinjya (11)

松陰神社 吉田松陰 shoinjinjya (8)

吉田松陰先生墓

松陰神社 ご朱印 shoinjinjya_goshuin

松陰神社、ご朱印

 

吉田松陰先生は
1854年わずか25歳の時、
弟子の金子重之輔とともに
黒船への乗船密航計画の罪で
5か月間江戸伝馬町の獄に
拘置されて以来、

萩の野山獄における幽閉など
約5年間に及ぶ幽囚生活を経て
井伊直弼によってもたらされた
1859年の安政の大獄によって
30歳の若さでこの世を去ります。

がしかし、

その間、先日の記事
君は 何を志しますか?
でもチラっとご紹介した通り、

幽囚の身でありながらも
叔父玉木文之進主宰の
松下村塾の名を引き継ぎ
松下村塾を開塾し、

久坂玄瑞、高杉晋作、
伊藤博文、山縣有朋、
吉田稔麿、入江九一、
前原一誠などの錚々たる
幕末の志士達を生み出します。

そして、「花燃ゆ」第17回放送
松陰、最期の言葉でも登場した
処刑前日に書かれたという
松陰の遺言書「留魂録」からも
推察できる通り、

自分の死は決して無駄ではない、
逆に自らの死こそが唯一
弟子たちを奮い立たせられ、
日本を立て直す転機になる、

と、悟った上で、
自ら死を選んだのであります。

間部詮勝の暗殺計画など
最後は少々思いつめた
危険な面もありましたが、

わずか30歳にして、
自らの死を意味あるものとし、
日本の未来に捧げたことは
歴史に残る生き様だったかと。

尚、留魂録の内容に関しては
コチラをご参照ください。

因みに「花燃ゆ」では
今夜第18回放送分より
坂本龍馬が登場予定デス。