NHK『坂の上の雲』再観賞。

第一部放送からかれこれ9年。


以下、ボクの大好きなオープニングの言葉だ。

 

まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。

「小さな」といえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年のあいだ読書階級であった旧士族しかなかった。

明治維新によって日本人は初めて近代的な「国家」というものを持った。誰もが「国民」になった。不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者として、その新鮮さに昂揚した。

この痛々しいばかりの昂揚が分からなければ、この段階の歴史は分からない。社会のどういう階層の、どういう家の子でも、ある一定の資格をとるために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも、官吏にも、軍人にも、教師にも成り得た。この時代の明るさは、こういう楽天主義から来ている。

今から思えば、実に滑稽なことに、コメと絹の他に主要産業のない国家の連中は、ヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした、陸軍も同様である。財政の成り立つはずがない。が、ともかくも近代国家を作り上げようというのは、元々維新成立の大目的であったし,維新後の新国民の少年のような希望であった。

この物語は,その小さな国がヨーロッパにおける最も古い大国の一つロシアと対決し、どのように振舞ったかという物語である。主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれないが、ともかく我々は3人の人物の跡を追わねばならない。

四国は、伊予松山に3人の男がいた。この古い城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争が起こるにあたって、勝利は不可能に近いと言われたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。

その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコルサック師団を破るという奇跡を遂げた。

もう一人は、俳句短歌といった日本の古い短詩形に新風を入れて、その中興の祖となった俳人・正岡子規である。

彼らは明治という時代人の体質で、前をのみを見つめながら歩く。上って行く坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。

 

そして、第一部において格別に印象に残っているシーンがある。それがコレだ。

明治16年(1883年)、主人公・秋山真之は、兄・好古の勧めにより勉学のため、故郷・松山より上京し、市ヶ谷にあった兄・好古のほったて小屋のようなおんぼろ下宿に同居させてもらうことになる。

しかも好古のおんぼろ下宿には茶碗がたったひとつしかない。米を食べるにも酒を呑むにもそのたったひとつの茶碗を兄弟二人で仲良く使い回ししなければならなかったのだ。

そんな兄の極貧な生活状況に弟・真之はついお金の心配をしてしまう。しかし、兄・好古は真之にこんなふうに説く。

 

 なぜ我が家には茶碗がひとしかないと思う?

 金がないからではないぞ。

 男子は生涯たった一事を成せば足る。

 そのためにあえて身辺を単純明快にしとくんじゃ。

 

以上、この兄・好古の言葉に毎度感動しながらもすぐ失念し、ボクは欲にまみれてしまう。よって、備忘録として此処に書き留めておく次第(苦笑)

因みに二人が下宿していたのはこの地図の赤丸のついたところ。今の市ヶ谷駅のすぐそばにあった旧旗本・佐久間正節のお屋敷にあった下僕用の小屋だ。橋を渡った対面には市谷亀岡八幡宮もある。

なお、後に兄・好古はこの佐久間正節のお嬢さん・多美と夫婦になっている。

さ、続きを観るがの楽しみでならない。