モナリザが世界一有名な絵画である理由。

モナ・リザ(リザ・デル・ジョコンド)
作者:レオナルド・ダ・ヴィンチ
製作年:1503年 – 1519年頃
寸法:77 cm × 53 cm
所蔵:ルーヴル美術館


世界一有名な絵画と言えばレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」であることはもはや説明するまでもありません。

がしかし、いったい何故あの小さなモナリザの絵が世界一の名画として知れ渡るようになったのか、その理由をボクなりに考察してみました。

まずモナリザの名前が知られる最初の発端は1911年のこと。

ルーヴル美術館のサロン・カレに他の絵画と一緒に並んで展示されていたモナリザが忽然と一作品だけ盗難されるという事件が発生します。

その際「ルーヴルなど燃えてしまえ」と言い放ったことがあったと噂されたフランスの著名詩人ギヨーム・アポリネールが最初の容疑として逮捕されます。

続いて「アビニヨンの娘たち」を描いたことで、キュビズムを創始したとされるあのパブロ・ピカソまで容疑者として逮捕されてしまいます。

この二人の著名人がのっけから警察に逮捕されたことで、一躍モナリザが脚光を浴びることになったのデス。

さらに盗難事件がお蔵入りになりつつあった2年後、絶妙なタイミングでルーヴル美術館に雇われていたイタリア人ビンセンツォ・ペルージャが真犯人であることが判明。その手口と盗難に至った経緯が明らかになったことで、さらにモナリザの知名度が上がります。但し、何故モナリザが盗難のターゲットにされたのかは明確になっていません。ひょっとするとモナリザがスモック(画家が絵を描く時に着るコートのようなモノ)のなかに隠せるほど小さな絵だったので、単に盗み易かったという理由からかもしれません。

そしてとどめは1956年。

モナリザの絵が鑑賞者から酸を浴びせられ、画面下部に大きな損傷を受けてしまいます。続いて同年12月に石が投げつけられ、画面左下部の顔料が剥落してしまいます。

そのため、ついにモナリザはルーブル美術館で唯一防弾ガラスの中で厳重管理される絵画となったのデス。

そうデス。その時初めてモナリザは世界の頂点に達したのデス。

スフマートの技法や遠近法に優れているとか、ナポレオンのお気に入りであったとかなど様々な理由が後付けされてきたようですが、そもそもは1911年の盗難事件がきっかけとなり、その後に損傷事件が続いたことで、世界一厳重に保管される絵画になった、それが世界一有名な絵画という名声にすり替わっていったのだと結論づけたのですが、どんなもんでしょ?

ダ・ヴィンチさんに怒られるかな?汗