書・昭和16年夏の敗戦。

昭和16年夏の敗戦 猪瀬直樹

昭和16年夏の敗戦???


太平洋戦争が開戦したのは
昭和16年冬の12月8日
終戦したのは昭和20年8月15日。

つまり昭和16年の夏と言えば
敗戦どころか戦争すら始まってない。

にも拘わらず
昭和16年夏の敗戦とはこれ如何に?

実は太平洋戦争が開戦する
8カ月前の昭和16年4月1日
陸海軍、各官庁、民間などから
35名の若手エリートが選抜され

日米戦を研究する
「総力戦研究所」なる
近衛首相直轄の軍事研究所が
開設されてたそうなんデス。

そして、昭和16年8月27と28日
日米戦の展開を予測した研究結果が
近衛首相はじめ東條英機陸相以下
政府・統帥部関係者の前で発表されます。

その導き出された結果は・・・

日 本 必 敗 。

例えば石油を米国からの
輸入に頼っていた日本は
仮にインドネシアの油田を
武力を使って獲得したとしても
日本のタンカーや輸送船舶は
米潜水艦に狙われることは確実で
安全に輸送する手段がありません。
その他の資源や食料にしても同様デス。

開戦始めは優位に立てたとしても
戦争が長引くようなことになれば
日本の国力では到底耐えられない。

挙句に戦争末期には
ソ連参戦の可能性が高く
日本の敗北は避けられない
ゆえに戦争は絶対不可という
「日本必敗」の結論を披露します。

もちろん資源豊富で
圧倒的な工業力をもつ米国相手に
万に一つも勝てないことは
閣僚だけでなく、軍部上層部でも
分かり切っていたことですが。。。

にも拘らずその5カ月後
自ら開戦の引き金を引いてしまいます。

陸軍が悪いとか
近衛さんが悪いとか
東条さんが悪いとかじゃなく
そもそも日本人は歴史的にも
死を恐れない世界屈指の好戦的な民族
ましてや幕末より根付いた
尊王攘夷思想ありきの国民性

米国の実力を知らない
無邪気で血気盛んな世論をはじめ
新聞メディア、若手将校らの
激烈な開戦要求を止めることなど
誰も出来るわけがなく・・・合掌

★★★★☆
昭和16年夏の敗戦
著者:猪瀬直樹

 

□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□

百戦百勝不如一忍 玄峰

百戦して百勝するよりも耐えて戦わないことのほうが賢明である。

連合艦隊司令長官 山本五十六が海軍次官時代の執務室に掲げていた沢庵和尚の言葉だそうデス。

因みに「玄峰」とは、鈴木貫太郎首相に終戦を勧め、終戦の詔勅にある「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・」の文言を進言したとされる龍沢寺の住職・鈴木玄峰老子のことかと思われます。