沢庵和尚「東海夜話」の一節より
百戦して百勝するよりも耐えて戦わないことのほうが賢明である。
連合艦隊司令長官 山本五十六が海軍次官時代の執務室に掲げていた掛け軸に揮毫されていた書が「百戦百勝不如一忍 玄峰」。
この言葉を胸に最後の最後まで不戦に尽力を注ぐもその願い叶わず。
因みに「玄峰」とは、鈴木貫太郎首相に終戦を勧め、終戦の詔勅にある「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び(景徳伝灯録)」の一節を進言したと噂される龍沢寺の住職・鈴木玄峰老子のことかと思われます。
□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□
「百戦百勝不如一忍」の後に続く一節がコチラ。
萬言萬當不如一黙
万度言ったことすべてが道理にかなって論破できたとしても沈黙を守ることには及ばない。
PS.
よくよく調べたところこの2つの格言のもともとの出典は紀元前179年-紀元前122年頃に編纂された中国の思想書「淮南子」。
その巻十八「人間訓」に掲載されているそうデス。
因みに「淮南子」といえば「人間万事塞翁が馬」や日本書紀冒頭の「古に天地未だ剖れず、陰陽分れざりしとき・・・」の典拠としてよく知られています。
恐るべし中国4千年の歴史。。。