2020 京都の旅 vol.17 大徳寺黄梅院。

大徳寺黄梅院

2020.11.23(祝)12:00~


まさかの撮影禁止!?

秀吉の軍旗「瓢箪」を象った千利休作庭の「直中庭」などめちゃくちゃ綺麗な庭園だっただけに残念無念。

故にエントランス部分のみ紅葉をお楽しみください。

大徳寺黄梅院

右に見えるのは加藤清正公献上の鐘楼。

大徳寺黄梅院

大徳寺黄梅院

右より

萬松院(織田信秀公)霊所
洞春寺院(毛利元就公)家一門霊所
小早川隆景公墓所
蒲生氏郷公墓地

何故名だたる戦国武将の霊所と墓所が黄梅院に?

永禄5年(1562)、当時28歳の織田信長が初めて上洛した際、父・信秀の追善菩提のために小庵「黄梅庵」を建立したことに始まるそうデス。本能寺の変によって信長が急逝すると、羽柴秀吉がこれを徐々に増築し、天正17年(1589)に「黄梅院」と改めました。その後、庫裡、鐘楼、客殿などを小早川隆景が寄進した関係で京都における毛利家の菩提寺となったようデス。

蒲生氏郷公(会津91万石)の墓はもともと「昌林院」という隣接した寺にあったそうですが、明治時代になって昌林院が廃寺となり、黄梅院に吸収されたため黄梅院に墓所が存在するそうデス。因みに蒲生氏郷の墓が近年発掘調査されて、刀を抱いた状態で葬られていたことがわかったそうデス(出典:藤田達生著書「蒲生氏郷 ーおもひきや人の行方ぞ定めなき」)。

 

□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□

懐・鰐淵晴子さん!