了・信 長 公 記 。

現代語訳 信長公記 (新人物文庫) 文庫 –  太田 牛一  (著), 中川 太古 (翻訳)

もっと早くに読んどきゃ良かった。。。


現代語訳 信長公記 読了!

織田信長の戦績
214戦 154勝 48敗 12分

桶狭間の戦い
姉川の戦い
長島一向一揆
石山合戦
長篠の戦い

一般的に信長と言えば
これらの合戦を経て
一気に本州中央部を
平定したと思われがちですが
実際には48回も敗戦を経験し
何度も命を落しかけてました。

また裏切りや謀反も
明智光秀だけでなく
柴田勝家・浅井長政
松永久秀・荒木村重などなど
沢山の家臣や同盟諸侯に
幾たびも仕掛けられる始末。

意外にも詰めが甘く
感情コントロールが苦手
日本史史上最強の
自分ファーストだったことは
疑いようのない事実だったかと(笑)

件の本能寺の変については
著者・太田牛一はその場におらず
逃げ果せた女房衆から聞いただけなのか
変の状況が淡々と書かれているだけで
光秀謀反の要因などについては
一切記載されてません。

しかしながら
信長の首を捕るどころか
亡骸さえ確保できなかったことは
不手際もいいところであり

妙覚寺に宿泊していた
嫡男・織田信忠への襲撃が
本能寺への包囲と同時ではなく
後手に回っていたこと

さらに長宗我部元親にも
予め同盟を求めていた
形跡がないことをを考えると
四国説の可能性は低く

あれやれこれやれと
顎で命令するばかりで
益々態度がでかくなった信長を
ちょっと懲らしめてやりたくなった

ちょうどそんな時
信長は小姓だけで本能寺に宿泊
信忠も僅かな供回りで妙覚寺に宿泊

千載一遇のチャンスとばかりに
計画性もなく本能寺を襲ったという
突発的な光秀単独犯行説が
実のところかなと思えたんですが如何でしょ。

因みにその他戦国武将の戦績は以下の通り。

徳川家康:176戦 106勝 37敗 33分
武田信玄:81戦 51勝 12敗 18分
豊臣秀吉:106戦 95勝 8敗 3分
上杉謙信:108戦 64勝 7敗 37分

秀 吉 & 謙 信 強 し !

 

□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□

平子理沙ママ 81歳

お家丸ごとシャネルなり😲

さすがネイルアートのパイオニアは違うでござる。