2022 京都の旅 vol.01 聚光院。

大徳寺

2022.11.22(火)10:30~


千利休の菩提寺であり
狩野松栄・永徳親子が描いた
46面に及ぶ国宝障壁画が遺された
知る人ぞ知る大徳寺の塔頭

聚 光 院

昨年春に初めて拝観した際は
高精細複製画の障壁画を観たが
この秋は5年半ぶりに直筆が
里帰りして鑑賞できると聞き
慌てて聚光院を予定に入れた次第。

直筆と高精細複製画との違いは
並べても分からないと聞くが
やはり気分的に満足度は高かった。

残念ながら寺院内は
千利休が作庭したといわれる
「百積の庭」含め撮影禁止のため
2021年に引き続きコチラの映像で確認されたし。

もちろんどれもが国宝だ。

花鳥図(室中之間:16面)
狩野永徳筆

永徳24歳のときの筆と伝わり
かのモナリザが
1974年に来日した際
代わりにルーブル美術館に
貸し出されたのがこの襖絵だ。

金泥加工による
黄土色の独特の色味と
隆々と力強く伸びた梅の木が
永徳の凄みと卓越した技を感じさせる。

日本史上最強の絵師に偽りなし。

琴棋書画図(檀那の間:8面)
狩野永徳筆

竹虎遊猿図(衣鉢の間:6面)
狩野松栄筆

瀟湘八景図(札の間:8面)
狩野松栄筆

蓮鷲藻魚図(仏間:8面)

花鳥図北面の襖を開けた
仏間の下の棚の襖絵がそれ!

花鳥図にはなかった
夏の季節を表しているそうな。

お見逃しきように。

3枚目と5枚目をご覧あれ。

今回は千住博氏の障壁画「滝」も
幸い合わせて鑑賞することができた。

大徳寺・聚光院 千利休墓

千利休(利休居士)の墓

利休賜死の要因については
今もって謎とされてるものの
信憑性の高い資料を調べる限り
やはり山門事件が真相ではないかと。

大徳寺山門・金毛閣

大徳寺山門事件とは
利休が寄付をして増築された
この山門・金毛閣の二階部分に
利休をモデルにした雪駄履きの
木像が安置されたことで
豊臣秀吉の怒りをかってしまった事件。

結果、木像は打ち首にされ
その木像の首をその雪駄履きの
胴体で踏みつけられた状態にして
一条戻り橋に晒されたという(驚)

そして、利休は秀吉の令のもと
聚楽第の自邸にて切腹して果てたという。

介錯人は利休の弟子のひとりで
主君であった豊臣秀次の介錯も行った
蒔田淡路守こと雀部重政。

なお、最近どっかで
利休が切腹に使った短刀
粟田口藤四郎「吉光」作の
通称「こぶや籐四郎」が
展示されてるのを観たんだけど
どこで展示されていたか思いつけず(涙)

多分京都国立博物館だったような。。。

千利休辞世の句

人生七十 
力囲希咄
吾這寳剣
祖佛共殺
堤る我得具足の一太刀
今此時ぞ天に抛

理不尽な言い掛かりに
相当な怒りを感じる辞世の句だ。

大徳寺

合 掌 。

※拝観料:2000円

PS.

障壁画の入れ替えシーン!?

 

□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□

雪谷の家(谷口吉生) x ピエール・ポラン

文句なく住みたい。。。