2023.09.05(火)12:00
こりゃぶったまげた。
非公開の「岩崎別荘」
今はなき「住友別荘」とならび
熱海三大別荘のひとつに数えられる
起 雲 閣 。
現在は熱海市の所有となり
幸運なことに入場料大人610円で
一般公開されている。
白沙村荘や
旧三井家下鴨別邸
旧岩崎邸庭園をはじめ
明治の豪邸もいくつか見学したが
桂離宮などの皇室系別荘や
仙厳園などの殿様系別荘を除けば
過去最高レベルの住居かもしれない。
格式ある表門の薬医門。
超高級旅館にしか見えないが
熱海市に売却されるまでは
実際に高級旅館として営業されてたそう。
表門(薬医門)の裏
実はもともと起雲閣は
山下亀三郎、勝田銀次郎と並ぶ
三大船成金の一人・内田信也が
1919年(大正8年)に母の静養のため
建てた2階建て別荘から始まったそうだ。
その後、東武鉄道の創業者
根津嘉一郎が土地建物を買い取り
1932年(昭和7年)に洋館や和館を
横に連なるように次々と増築
1947(昭和22)年には
実業家・桜井兵五郎が取得し
「起雲閣」と名付けた旅館として開業。
その後、起雲閣は
日本観光株式会社の手に渡り
1964年の東京五輪を見据えて
巨大旅館に生まれ変わるも
2000年(平成12年)に自己破産し
熱海市所有の目玉観光施設となっている。
つまり所有者が替わるごとに
増築されて巨大施設になっていったわけだ。
最初に入館したのが
初代の所有者・内田信也が
母の静養のために作った和風建築。
1階の部屋が「麒麟」
2階が「大鳳」と名付けられている。
1階部屋「麒麟」
青い壁が印象的。
窓を開放すれば額縁庭園も?
2階部屋「大鳳」
2階は紺色の壁が特徴。
太宰治が愛人の一人であった
山崎富栄を伴ってこの部屋に宿泊。
因みに太宰は起雲閣にて
『人間失格』を執筆したそうな。
2階から望める庭園。
あぁ、此処に住みたい。。。
2つ目に見学した建物は
二代目オーナー・根津嘉一郎が
1932(昭和7)年に別邸として
完成させたご覧の洋館。
ダイニングルーム「玉姫」
折上格天井が贅沢すぎる。
玉姫の間に併設されたサンルーム。
贅沢の極致である。
リビングルーム「玉渓」
暖炉に床はヘリンボーン。
和館・洋館と続いて3つ目に見学したのは・・・
三代目のオーナーとなる
実業家・桜井兵五郎が
1947(昭和22)年に増築した3室の和室だ。
桜井はこの3室をもとにして
旅館「起雲閣」をスタートしたと思われる。
1室目は「初霜」
何が凄いって
この部屋に宿泊した
小説家たちの顔ぶれ!?
武田泰淳
船橋聖一
三島由紀夫
太宰治
志賀直哉
谷崎潤一郎
山本有三
庭園をバックにした文豪たち。
左から
山本有三
志賀直哉
谷崎潤一郎
部屋のガラスには
小説の一文も!?
「貴族の階段」読まなきゃだわ。
2室目は尾崎紅葉の間「春風」
「金色夜叉」は此処で
書かれていたというわけだ。
3室目は坪内逍遥の間「秋風」
坪内逍遥が大正9年から
昭和10年に亡くなるまでの
15年間を過ごした部屋だそうな。
4つ目の建物は洋館「金剛」
こちらは2つ目の洋館と同じ
根津嘉一郎が増築した洋館だ。
さらに隣にはローマ風浴室も!?
根津嘉一郎恐るべしである。
5つ目の建物は長い廊下のある和館
現代風な廊下であることから
日本観光所有時に増築された建物か!?
各部屋は展示室になっており
もう旅館の風情はないが
部屋からの眺めは格別だ。
なんと浴場だけは残されていた。
なお、6つ目の建物は残念ながらこの日非公開。
そして、最後に7つ目の和館が・・・
最初のオーナー内田信也の別邸「孔雀」
壁の色は赤。
ぐるりを縁側で囲まれていて
婆ちゃんの家の懐かしい香りがした。
以上、凄いのひとこと、何度でも来ちゃるけんな。
□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□
泣けた。泣けた。
最初から最後まで泣けた。
『友情』~平尾誠二と山中伸弥「最後の一年」
10kg減量してまで
モックンが挑んだという
平尾誠二さんの演技は
本当に真に迫っていたと感じた。