西国無双の戦国武将 立花宗茂。

tachibana_muneshige 立花宗茂所用・大輪貫鳥毛頭形兜

立花宗茂にぞっこんLOVE。


葉室麟著書の「無双の花」、
楽しく読了いたしました。

主人公は、実在した
無敗の戦国武将 立花宗茂。

あの天下人 豊臣秀吉が
「西国無双の武将」とも
「その忠義、鎮西一。
 その剛勇、また鎮西一。」
とも褒め讃えたとも言われる
九州・柳川の天才武将デス。

葉室麟 無双の花 hamurorin_musonohana (2)

残念ながら立花宗茂は
秀吉死語の関ヶ原の合戦の際、
東軍優位を悟りながらも
豊臣秀吉への恩義、
総大将 毛利輝元に義理立てし、
石田三成率いる西軍として参戦、

東軍 京極高次が守る
大津城を攻め込んでいた為、
関ケ原の合戦には間に合わず、
結果、負け知らずのまま敗戦、
柳川の地は没収・改易となり、

加藤清正や前田利長らから
家臣として誘いを受けるも
毛利勝永、長宗我部盛親らと同様
立花家再興のため、
浪人生活を決意します。

葉室麟 無双の花 hamurorin_musonohana

歴史にもしが許されるならば、
関ヶ原の戦いにおいて
立花宗茂の参戦を間に合わせて
あげたかったところデス。

また大阪の陣において宗茂は
徳川秀忠の参謀として参戦し、
毛利勝永の軍を撃退していますが、

あの真田幸村と同じ
1567年生まれであったことから
もし真田幸村とタッグを組んで
大阪の陣を二人で戦っていたら、
歴史が動いていたかもしれない、
そんなことを妄想した次第デス。

なお、実際の立花宗茂は
一時は浪人となっていたものの
徳川家臣 本多忠勝の仲介により
また徳川家康も宗茂の武勇と
忠臣ぶりを認めていたことから

1604年、陸奥棚倉に1万石を
徳川秀忠より与えられて
4年振りに大名として復帰し、

さらには1620年、旧領であった
筑後柳川10万9,200石を与えられ、
関ヶ原に西軍として参戦し、
一度改易されながらも
旧領に復帰を果たすことが出来た
唯一の戦国武将としても
その名が知られています。

真田幸村や伊達政宗と同じ
1567年生まれの武将ですが、
幸か不幸か宗茂は76歳まで長生きし、
晩年は江戸で秀忠・家光に近侍し、
その生涯は幸村とまったく
異なるものとなったようデス。

※冒頭画像は雑誌「ひととき」より
立花宗茂所用
大輪貫鳥毛頭形兜

本書のおいては
伏見城下にて真田幸村と
宗茂の交流も描かれていますヨ!