時に天才は狂人から生まれる。

世界の測量 ガウスとフンボルトの物語 ダニエル・ケールマン著 瀬川祐司訳 三修社刊

読了しただけでも進歩したなと。


冒頭の著書は、2005年秋にドイツで刊行されて以来、130週以上にわたりベストセラーリストに入り、そのうち35週も1位の座を占めたという傑作中の傑作と評判高いダニエル・ケールマン著のフィクション「世界の測量 ガウスとフンボルトの物語」(訳:瀬川祐司)。

例の「わたしの財産はエスプリです。」の名言を残された資生堂名誉会長である福原義春氏と「男と女は誤解して愛し合い、理解して別れる。」の名言を残された島地勝彦氏の両氏のお奨めということで、「マッカーサーが探した男」並に面白い著書ではないかということを期待して張り切って読ませて頂きました。

主人公は、かの世界的な地理学者・探検家として名を馳せたアレクサンダー・フォン・フンボルトと、20歳の時に「整数論」を世に出した天才数学者カール・ガウスのドイツで生まれた二人の天才学者。そして、フンボルトは実際に自分の眼で足で旅して世界の様々な国を測量し、かたやガウスは何処にも旅をすることなくドイツに留まり、数学によって世界の測量を試みるという、方法論は違えど二人の天才学者がタイトル通り世界を測量していくという壮大な哲学的冒険小説なのであります。

がしかし、

18世紀が生んだ二人の天才の行動や言動は、決して凡人のボクの理解出来るところではなく、また文章も哲学的であるためか、あまりに抽象的な描写が多く、フンボルトがアマゾン川流域を探検した際の記述は、開高健の「オーパ!」では情景がとてもよく想像できたのとは反対に、フンボルトの心を躍らせたアマゾン河口域の探検紀行はボクの想像力の欠如もあってか、「フンボルトは何がそんなに愉快なの?こっちは全然愉快じゃないよ。」と文句をつける有り様でした。まさにH・テイジャーの言葉を借りれば「天才の快楽は、凡人の苦痛でしかない。」であります(涙)

中でも最も難解だったのが、裕福な下流貴族であったアレクサンダー・フォン・フンボルトの母が、フンボルトとその兄ヴィルヘルム・フォン・フンボルトがまだ幼かった頃、ドイツの天才詩人だったゲーテ(1749-1832年)にその兄弟の教育方針を相談するのですが、ゲーテから返ってきたのはこんな複雑な答え。

二人兄弟においては・・・人間的な努力の多様性が正当に顕在するものです。つまり、そこでは行為と享楽に関する豊かな可能性が極めて模範的なかたちで現実化しているわけです。それは実際に感覚を希望でいっぱいにし、精神を多様な考察で満たせるドラマなのです。

なんのことやらさっぱり分からん始末(滝汗)てか、大学受験の国語のテストにも出なさそうな難解な文章デス。

で、あまりに分からないのも悔しいので、哲学な友人に解説してもらったところ、こんな回答でありました。

一人の子じゃあ分かんないわけよ。二人以上だと、その子達から見て取れる。人、ひとりを観察しても、世界の色んなことは分からないけれど、たくさん人がいると、それぞれの特長から、世界が見えるでしょう?子供それぞれを合わせたら世界が見える。子供によって特長違うから、勉強の努力が現れる子もいれば、運動の努力の成果が現れる子もいる。他にも多様にあるよね。料理の努力が現れる子だっているし、手先の器用さが現れる子もいる。超、多様。もう色んな行為と、趣味とか楽しみとかの広がりが、わかりやすく目の前に見えるわけですよ。つまり現実化してる。ってここまでが、隊長の投稿の3行目まで、、、ゲーテの説明、短いのに上手過ぎて、例えばそれをわかりやすく説明すると長くなっちゃうわけですよ。残りの1行は説明しようがない、、、そのまんま。たくさん学ぶことで、たくさん感じる能力もつけ、たくさん考えることができ、濃い楽しい人生というドラマを生きれる、、、ゲーテのお母さん自体が明るい人で、人生は悦びで満ちているということをゲーテに教えたく、いろんなことを学ばせたみたいね。色んなことを知っていると、楽しめるポケットもたくさんになるもんね。ゲーテの教育方針は、親の教育方針に感謝してるわけだね〜

あんたも天才かい?笑

この解説読んで微妙に理解できた次第であります。

steve jobs スティーブ・ジョブス

【source】flickr.com

かのアップルの創業者の故スティーブ・ジョブスは、業務以外の余計な決断を避けるため、毎日着る服はイッセイミヤケの黒のタートルネックとリーバイス501のジーンズだけに決めてしまったという逸話のあるほどの変態ぶりでしたが、やはりフンボルトもガウスも同様でして、例えばフンボルトは、ザルツブルグで大枚を払って手に入れた測量器の訓練を1年間重ねるのですが、毎日毎日へんてこりんな機械をもって街を彷徨っていた為、地元の人たちから狂人扱いされます。しかし、それに対してフンボルトはこう思っていたのです。「そういう狂人扱いされる状態にも慣れなければならない。」と。再びH・テイジャーの言葉を借りるとすれば、「時に天才は狂人から生まれる。」ってとこでしょうか(笑)ま、とは言っても、あくまでフィクションなので、原作者が変態ってことになるのですが(汗)

但し、天才もたまにはこんな粋な言葉を使ってました。以下、ガウスが自身の結婚式で妻となるヨハンナと参列者に向けてのスピーチです。

私は幸福というようなものを自分で見つけられるとは予想もしておりませんでしたし、基本的にいまだにそうは思っておりません。これは一種の計算ミス、あるいは誰にも見つけられないままでいて欲しいと祈っている過ちのような感じがしています。

そんなわけで、高尚な方々から「面白い!面白い!傑作だ!」と高く評価された本、しかもベストセラー本を面白く感じられないのは相当に癪なので、もう少し哲学的な著書をいくつか読了し、しっかりエスプリを叩き込んでから、もう一度出直してこの著書のにリベンジすると心に決めたのであります。