動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。

2018年3月26日(日)午前


1865年1月12日、長州が誇る英雄・高杉晋作は、第一次長州征伐後に長州藩を主導していた椋梨藤太率いる俗論派を打倒すべく、伊藤俊輔率いる力士隊、石川小五郎率いる遊撃隊、義侠心から参加した侠客らわずか84人とともにここ功山寺において挙兵します。

そして、京より亡命しこの功山寺に一時身を寄せていた五卿らを前に「是よりは長州男児の腕前お目に懸け申すべく。」と啖呵を切って、ご覧の銅像の如く勇ましく出陣し、歴史の歯車を大きく回したのでした。

さて、そんなわけで長州の旅3日目は、高杉晋作の功山寺挙兵で知られる下関市の長府にお邪魔してきましたので、以下さくっとご紹介デス。

功山寺に行く途中通る古江小路。長府の武家屋敷塀が整然と続きます。

左にチラッと見えるのは菅家長屋門。

功山寺 山門(1773年)

功山寺 仏殿(1320年)

小さな寺かと予想していたら、とんでもない。長府毛利氏歴代の墓所もある由緒ある立派な寺院でありました。特に国宝指定されている仏殿は一見の価値あり。

なお、寺田屋事件で坂本龍馬を護衛していた長府藩の三吉慎蔵の墓所もこの寺にありますヨ。

長州の旅 3月24日午前:大村益次郎篇
長州の旅 3月24日午後:山口政治堂篇
長州の旅 3月25日午前:吉田松陰篇
長州の旅 3月25日午後:萩城下篇

 

□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□□□□

功山寺のすぐ近くにある1903年に完成した長府毛利邸。

明治以降の建物とはいえ、立派な御殿でありました。