2022 京都の旅 vol.13 無鄰菴。

2022.11.24(火)15:00~


いよいよこの旅も今回で終焉。

白沙村荘を後にして
最後に訪れたのは明治の元勲
山縣有朋の別邸で知られる

無 鄰 菴 。

山縣はこの庵について
こんな言葉を遺してるそうな。

この庭園の主山というはのう、此前に青く聳える東山なのだ・・・瀑布の水もこの主山から出てきたものとする・・・石の配置、樹木の植え方、皆これから割出して来なければならんのだ。

無鄰菴玄関

無鄰菴入口

無鄰菴

数寄屋造りの母屋

無鄰菴庭園

広さ約3,100 m2の日本庭園

作庭したのは七代目小川治兵衛

決して広くない庭園だが
植樹を工夫することと
東山を借景にすることで
広大な庭園にうまく見せている。

無鄰菴

無鄰菴

無鄰菴茶室

茶室

無鄰菴

美しい日本庭園と並ぶ
無鄰菴の目玉がこの洋館。

無鄰菴

明治36年(1903)4月21日
日露戦争開戦前に行われた

無鄰菴会議

その会場として知られる洋館だ。

当時の会議の顔ぶれは以下4名

元老・山縣有朋
政友会総裁・伊藤博文
総理大臣・桂太郎
外務大臣・小村寿太郎

日本の外交方針として
満州におけるロシアの権利は認めても
朝鮮における日本の権利はロシアに譲らない。

桂首相と小村外相は
この方針を貫くために
対露交渉において
武力行使も辞さないという
態度で臨むことの同意を
伊藤と山縣から取り付けたという。

史実では辛うじて勝てたけど
もし負けたときはどうなってたんだろうね?

太平洋戦争はなかったかな。
でも、別の大戦に突き進んでたかな。

などといっとき妄想。

無鄰菴

壁4面の金碧花鳥図障壁画は
江戸時代初期頃の狩野派絵師によるものとか。

どっから持ってきたんだろう?謎

無鄰菴

天井の意匠も素晴らしい。

無鄰菴

山縣有朋の個室

此処で有朋卿は読書をしていたようだ。

なお、昔は好戦的だった
山縣有朋卿のことをあまり
好ましく思ってなかったけど
最近はもうなんとも思わなくなった。

もう掘り返しても歴史は変わらんし
猛省を胸に前を向いて進もうではないか。

以上、2022 京都の旅、了。

 

□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□

タイムスビル 京都

三条木屋町の高瀬川沿いにある
安藤忠雄氏設計の名建築

TIMESビル

ただいま借主募集中の模様。