国宝・姫路城。

国宝・姫路城

2017年11月25日(土)


超巨大天守閣をもつ
天空に聳える国宝・姫路城
ついに登城してまいりました。

国宝・姫路城

別名「白鷺城」とも言いますが
JR姫路駅からも丸見えデス。

お城までは徒歩15分くらい?

国宝・姫路城

国宝・姫路城

5重6階地下1階の
連立式望楼型天守閣は
巨大すぎて言葉を失います。

幸か不幸か戦国時代は
こんな贅沢が許されたんですね。

否、贅沢とはちと違う?

国宝・姫路城

但し、天守閣内はかなり地味。

そこがヨーロッパの城と
大きく違うところですね。

因みに天守閣への入場は
15分待ちくらいでした。

国宝・姫路城

隣接する好古園の紅葉。

国宝・姫路城

西の丸方面。

天守閣最上階はベランダがなく
小窓からだけの眺望となります。

屋根瓦の漆喰が真っ白デス。

すぐ近くにある男山。

男山からの眺望は後ほど。

国宝・姫路城

お菊井戸。

怪談・播州皿屋敷のお菊が
責め殺されて投げ込まれた
と伝わる井戸だそうデス(怖)

国宝・姫路城

姫路城内堀。

確か船代は1000円でした。

男山からの姫路城

最後に男山配水池公園から
夕陽に映える姫路城。

以上、もともと徳川幕府が関ヶ原の戦い後、西国への守りを固める目的で、池田輝政を擁し大規模に修築させたのがこの姫路城デス。

それにしても江戸城や名古屋城に匹敵するほど巨大な城郭を、徳川の譜代でもなかった池田輝政がどうして任されたのかちょっと不思議な感じですよね。

池田輝政と言えば、織田信長の重臣・池田恒興の次男に生まれ、信長亡き後は豊臣秀吉に仕え、秀吉の斡旋で徳川家康の娘・督姫を娶っていたこともあり、秀吉亡き後はその嫡男・豊臣秀頼に仕えながらも家康派閥に属するようになります。

また、福島正則・加藤清正・加藤嘉明・浅野幸長・黒田長政・細川忠興らと共に起こした石田三成襲撃事件の七将のうちの一人にも数えられるほど三成に憎しであったことから、関ヶ原の戦いでは他の六将らとともに東軍側につき、緒戦の岐阜城攻略で武功を挙げています。

その恩賞として播磨姫路52万石に加増移封され、初代姫路藩主となったわけデス。家康の娘が嫁いでるとはいえ、余程人柄がよく家康からの信任が厚かったのかなと。そして、家康が西国武士をどれほど恐れていたかがよく分かる例ですネ。

さて、その輝政が1613年に没すると、その跡を継いだ嫡男・池田利隆も僅か3年後の1616年に亡くなり、輝政の孫にあたる池田光政が継ぐことになります。

しかし、当時光政はまだ幼少であったため、姫路城に残ることは許されず、因幡鳥取へ転封させられます。その代わりに伊勢桑名藩から姫路藩に15万石で転封してきたのが、あの本多忠勝を父にもつ本多忠政デス。

そして、その忠政の跡を継いだのが嫡男・本多忠刻。その忠刻の正室があの豊臣秀頼の正室でもあった千姫(徳川秀忠の娘)というわけなんデス。特に西の丸は千姫の化粧料によって増築されたとのことで、千姫ゆかりの品々が数多く所蔵されているとか。

以上、今回の姫路城登城で、松本城彦根城犬山城と合わせ国宝五城のうち四城を制覇となりました。残すところは島根県の松江城のみ。果たして国宝五城完全制覇はいつのことになるのやら。。。