2017年11月27日 11:00~
秀吉とねねの寺。
紅葉が美しいなだらかな台所坂の先に現れるのが・・・・
鷲峰山・高台寺デス。
1606年、豊臣秀吉の正室である「ねね」こと北政所が徳川家康の援助のもと、秀吉の冥福を祈るために建立された禅寺でして、十数年前に参拝のときにいたく気に入った覚えがありまして、この度人生2度目の参拝と相成りました。
ご覧の通り京都の神社仏閣はどこも例外なく紅葉の宝庫。ただただ驚くばかりデス。
さ、ねね殿が生きた時代の侘び錆び効いた美しい仏閣をとくとご覧くだされ。
遺芳庵
何気に参拝客の皆さん、見た目これといった特徴がないからかこの遺芳庵を軽くスルーされていかれるんですが、この遺芳庵には知る人ぞ知るこんな伝説的秘話が隠されてるんデス。
時は江戸時代始めの1631年、京都の豪商だった灰屋紹益(はいやじょうえき・当時22歳)は、4歳年上の島原の名妓・吉野太夫(当時26歳)を、時の関白・近衛信尋との争いに勝って身請けすることに成功します。さらに紹益は父親から勘当されながらも芸妓・吉野太夫を正妻にするという当時の世相では有り得ない結婚を果たすのデス。
吉野太夫は父親から勘当されても、なお結婚を決意した紹益にこんな歌を詠んだそうデス。
「恋そむるその行末やいかならん 今さへ深くしたふ心を」
対して紹益もこんな歌で返したそうデス。
「ここでさへ さぞな吉野の 花ざかり」
しばらくして、ふたりの熱い愛に心溶かされた父親は紹益の勘当を解き、ようやくふたりは幸せな結婚生活をおくれるようになりました。
しかし、神も仏も残酷デス。結婚から僅か12年後、吉野太夫は38歳の若さであの世へ旅立ってしまいます。
紹益はあまりの悲しみに打ちひしがれ、吉野太夫を荼毘に付した後、その遺灰を壺の中にすべて納めます。そして、ここ高台寺にこの遺芳庵を建て、彼女の遺灰を毎日少しずつ酒盃の中に入れ、吉野太夫のことを偲んで呑んでいたと今に伝えられています。
紹益が如何に寂しかったか、吉野太夫をどれほど想っていたか、この歌を読んでいただければお分かりになるかと。
「都をば花なき里になしにけり 吉野は死出の山にうつして」
現在、二人の墓は鷹ヶ峰の常照寺にあるそうデス。
左:観月台
右:開山堂
方丈前庭
臥龍廊
霊廟
傘亭
続いては高台寺の並びにあるねね終焉の地とも伝わる圓徳院。
圓徳院と言えばなんといっても美しい北庭。
人のいない北庭を撮影するのに待つこと数十分。粘り勝ちデス。
以上、京都屈指の美しさを誇る高台寺&圓徳院。ぜひともお薦めしたい禅寺ですヨ。
京都の旅 vol.1 紅葉の東福寺
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京都の旅 vol.9 京都御所・蛤御門の変
京都の旅 vol.10 丸窓の源光庵
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京都の旅 vol.13 大政奉還の二条城
PS.
2021.11.22(月)10:00 ~
雨の高台寺
雨に濡れる高台寺も雰囲気あって良しでござる。