熱帯夜は竹の清涼感に包まれて。

ついに気温28℃突破!


いよいよ夏到来ということで
得意の竹シーツ登場デス。

オッサンの苦手な熱帯夜を
2014年の夏より
エアコン要らずで
しっかり防衛してくれてます。

しかもこの竹シーツは
2年使用してながら劣化ゼロ!
耐久性も優れてるんデス。

右が夏の竹シーツ
左が春と秋用の寝ゴザ

どちらも安眠ツールとして
もはや欠かせない存在デス。

詳しくはコチラ

 

□□□ 東雲乃本 □□□□□□□□□□

★★★☆☆
写真家大名・徳川慶勝の幕末維新
尾張藩主の知られざる決断

編者:NHKプラネット中部

幕末の時代、徳川家康の子孫・美濃高須藩藩主・松平義建の子として数奇な運命を辿った高須四兄弟。

右から、次男・慶勝は尾張藩主に、5男・茂栄は一橋家当主に、6男・容保は会津藩主に、8男・定敬は桑名藩主にと言えば、皆さまも耳にしたことがきっとあることかと。

本書では御三家筆頭の尾張藩主となった実質長兄の慶勝だけが、どうして弟たちと袂を分かち、薩長軍、つまり官軍側にひとり味方して、幕軍の雄藩を率いる弟たちと戦うことになったのかを検証しています。そして、慶勝こそ実は倒幕の最大のキーマンではなかったかと結論付けています。

どうして慶勝は幕府側の弟たちと袂を分かち、新政府側につくことを即断したのか?

実は慶勝はお殿様でありながら、大変な数の風刺画を集めていたとか。もし風刺画の収集が慶勝の民主主義的な思想から生まれ、くわえて世論を深く観察するための手段にしたということであれば、国内の世論が勤王に大きく振れていたことは手に取るようにわかっていたはず。つまり、一時は公武合体を目指したものの、時勢はもはや徳川に欠片も残ってなく、世論の思いは朝廷側にありと民主的に考えての即断ではなかったかとボクは予想します。

以上、なんちゃって幕末評論家の戯言でした(汗)