私本太平記 vol.03ー足利尊氏&新田義貞のW謀反ー

足利尊氏 新田義貞

左:足利尊氏像(浄土寺蔵)
右:新田義貞像(藤島神社蔵)


さて、命からがら隠岐島を脱出し、船上山で再挙兵に成功した後醍醐天皇が、落ち着く間もなく諸国の武家宛てに倒幕の綸旨を乱れ打ちしたのは前回のお話。

その後醍醐天皇の綸旨に手を挙げた大物がふたり!もともと西国の反幕勢力鎮圧のために上洛していた鎌倉幕府の重臣・足利尊氏、そして、地元・新田荘(群馬県太田市近辺)で幕府徴税使者との小競り合いから殺害事件にまで発展し、後に引けなくなった新田義貞のふたりデス。

源宗家・足利家・新田家家系図

偶然にも足利家と新田家は鎌倉幕府創始者の源頼朝と同様、八幡太郎こと源義家に連なる同じ河内源氏の名門中の名門、所領していた足利荘と新田荘も隣同士でした。にも拘わらず両家とも鎌倉幕府内での地位は北条一門に抑えられてパッとしません。つまりどちらも源宗家断絶以来、北条得宗家主導の幕府に対して歯痒い思いをしていたわけデス。

そこへ後醍醐天皇の綸旨を受けた足利尊氏はこの時とばかり幕府に反旗を翻し、播磨の赤松円心、近江の佐々木道誉らを仲間に引き入れて、幕府の上方拠点・六波羅探題の攻略に成功。

かたや幕府徴税使者殺害事件により幕府の軍勢が差し向けられ後に引けなくなった新田義貞も綸旨を盾に僅か150騎で決起を宣言。途中越後の新田一族や甲斐源氏、信濃源氏らの勢力を加え、さらに鎌倉を脱出してきた足利尊氏の嫡男・千寿王(後の室町幕府2代将軍・足利義詮)とも合流し、逆に手薄となった鎌倉に向けて快進撃し、ついには得宗・北条高時を自刃に追いやり、1333年に150年もの栄華を築いた鎌倉幕府を滅亡させてしまうんデス(驚)

足利尊氏と新田義貞、長年犬猿の仲であったにも拘わらず、何の因果か北条一族に乗っ取られていた鎌倉幕府を期せずして滅亡させてしまうという・・・そして、足利家と新田家の長年にわたる確執がその後の日本の黒歴史こと南北朝時代を生み出してしまうという・・・歴史の神様は時にすこぶる残忍なことを日本史に刻み込んでしまったようデス。

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私本太平記 vol.02ー後醍醐天皇、命懸けの隠岐島脱出ー
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私本太平記 vol.04ー後醍醐天皇 vs 足利尊氏ー

 

□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□□□□

ホントに50歳なの!?凄っ!