外観お披露目されました。
数寄屋橋阪急跡地に
2016年春開業予定で再開発中の
銀座5丁目プロジェクト。
まだ正式名称は未確定なものの
入居テナントもほぼ決定され、
建物もご覧の通り完成しました。
ガラスウォールのファサードは
新国立競技場開発でもお奨めした
東京の伝統工芸「江戸切子」が
しっかりオマージュされており、
新しい情報を発信する「光の器」
をイメージしてるんだそうデス。
さらに6階には太陽がまぶしい
吹き抜けのアトリウムが用意され、
地上56mの屋上テラスからは
銀座エリアが一望できるとか。
有楽町のMUJIBOOK、
銀座2丁目のG.Itoya、
そして、2016年11月の開業予定の
銀座松坂屋跡地の開発など
銀座の勢いが益々止まりません。
PS.
数寄屋橋と言えば、
いまや「すきやばし次郎」ですが、
その昔、数寄屋橋と言えば、
「阪急」だった時代があります。
で、そのもう少し前は
有楽町マリオンになった
「朝日新聞本社」。
さらに昭和の始めの頃は
関東大震災で架け替えられた
石造りの二連アーチ橋が
シンボルだったそうです。
そして、数寄屋橋を
最も有名にさせたのは、
昭和27年(1952)に放送された
ラジオ番組「君の名は」。
主人公・春樹と真知子の
待ち合わせ場所になったことで、
一気に数寄屋橋が
全国区になったそうです。
以下、「君の名は」の
簡単なあらましです。
昭和二十年五月二十四日の東京大空襲の夜、数寄屋橋の上で互いに命を助け合った若い男女後宮春樹と氏家真知子は、半年後の二十四日の夜、この橋の上で再会しようと約束した。青年は別れ際「君の名は」と聞いたが、彼女は名を言わず立去った。しかし約束の夜真知子は遂に現われなかった。彼女は頑迷な叔父の強制で縁談の為、佐渡ケ島に滞在していたのだ。その縁談場所となった料亭ひさご家の娘 綾の協力で、やがて真知子は春樹を探し求めるが、、、、
数寄屋橋に歴史ありデス。