天下無双の国宝・紅白梅図屏風。

尾形光琳 紅白梅図屏風

尾形光琳(1658-1716)


熱海の海が一望できるMOA美術館にて開催中の『名品展 国宝「紅白梅図屏風」』でやっとこさ尾形光琳の超名作に出逢うことができました。

さて、その詳しい紹介の前に本展覧会で目を奪われたMOA美術館所蔵の名品をまずはどうぞ。

国宝・手鏡翰墨城(かんぼくじょう)

【国宝】手鏡 翰墨城(かんぼくじょう) 

「手鏡」って何じゃそれ?ですが、古の著名書家たちの書を筆跡鑑定する際の手本となる真筆書状をまとめた冊子のこと。特にこの翰墨城には「三蹟」と呼ばれる小野道風・藤原佐理・藤原行成の筆跡が収められていることで特に貴重な「手鏡」と言われています。また、真筆書状を見るに筆跡の美しさはさることながら、和紙に浮かんだ細かい意匠にも目を見張るものがあります。古の人は文字だけでなく和紙にまで個性を表現していたようデス。

因みにこの翰墨城の他に「藻塩草(京都国立博物館)」「見ぬ世の友(出光美術館)」「大手鑑(陽明文庫)」が4大手鏡として国宝指定されています。

国宝 色絵藤花文茶壺 野々村仁清 江戸時代

【国宝】色絵藤花文茶壺 野々村仁清 江戸時代(17世紀) 

京焼色絵陶器の大成者・仁清による丸亀藩主・京極家伝来の茶壷。大きな茶壷を均一の薄さに挽きあげる轆轤技にくわえ、様々な種類の釉薬を活かした華麗な絵画的装飾は天下無双。

野々村仁清 色絵金銀菱文重茶碗

【重文】色絵金銀菱文重茶碗 野々村仁清 江戸時代(17世紀)

茶匠・金森宗和が依頼し、東福門院(後水尾天皇中宮、徳川二代将軍秀忠の五女)への献上品として仁清が制作したと伝わる洒脱な茶碗。野々村仁清と言えば、尾形光琳の弟・尾形乾山の師匠としても知られていますネ。

本阿弥光悦 膳所茶碗

膳所茶碗 本阿弥光悦 江戸時代(17世紀) 

江戸・御殿山での第三代将軍・徳川家光御成茶会で使用するために備中松山藩第2代藩主・小堀遠州が本阿弥光悦に製作依頼したとされる膳所焼茶碗。見た目どうってことないようですが、俵屋宗達と並ぶ琳派創設者のひとり本阿弥光悦作と言われるとボクの目は輝きます。

長次郎 千利休 黒楽茶碗

黒楽茶碗<渓(あやめ)> 長次郎

天正15年(1587)の茶会で千利休が3回使用したと推定される黒楽茶碗。秀吉は利休の使う黒楽茶碗を嫌ったとされてますが、本品がそれに当たるかどうかはもちろん不明デス。

故事人物図屏風 長谷川等伯

故事人物図屏風 長谷川等伯 江戸時代(17世紀) 

右隻:殷の紂王を討というとする周の武王を諌め、聞き入れられず首陽山に隠れ餓死した伯夷と叔斉の兄弟
左隻:漁夫と問答する屈原

等伯と言えば桃山文化を代表する煌びやかな色彩の絵を京都東山の智積院に残していますが、ご覧のような水墨画もお見事デス。

洋人奏楽図屏風

【重文】洋人奏楽図屏風 桃山時代(16世紀)

桃山時代、キリスト教伝来とともに宣教師など南蛮人たちから洋画教育を施された日本人によって描かれたものとされる作者不明の屏風。

平兼盛像(佐竹本三十六歌仙切)

【重文】平兼盛像(佐竹本三十六歌仙切) 鎌倉時代 

紀貫之をはじめとする古来の優れた「歌仙」36人を描いた「佐竹本三十六歌仙(書:伝・後京極良経 画:伝・藤原信実)」、佐竹本と通称される通り秋田藩主佐竹家に代々伝わった超国宝級と言っていい上巻・下巻に分かれた絵巻だったそうデス。そして、1917年(大正6年)、その佐竹家より35万5000円という超高額な価格で手に入れたのが第一次世界大戦景気で巨万の富を築いた虎大尽こと実業家・山本唯三郎でした。

しかしこの山本がいけなかった。苦労人だったにも拘わらず贅沢をしすぎた山本は大戦後の不況によってあえなく事業を傾かせ、手に入れたばかりの「佐竹本三十六歌仙」をすぐに売却しなければならなくなるという不運に見舞われます。ところが今の価値にして数十億円とも言われた「佐竹本三十六歌仙」、当時そんな大金で手を挙げられる日本人なんて誰ひとりいませんでした。

結局海外流出を防ぐための苦肉の策として「佐竹本三十六歌仙」は37枚に切り刻まれ、幸か不幸か37人に抽選のうえ掛け軸として売却されたのでした(涙)その数奇な運命を辿った「佐竹本三十六歌仙」37枚のうちの1枚がこの平兼盛像ってわけなんデス。

因みにその抽選会場となったのが三井物産社長だった益田孝の自邸で、今その建物は東京国立博物館の構内に応挙館として現存しています。

PS.

切り刻まれたと記述しましたが、もともとは1枚の絵を繋ぎ合わせて上巻・下巻の絵巻としていたそうで、それらを1枚1枚職人の手によって剥がされ、分割されたというのが正しい理解だそうデス。つまり、また貼り合わせれば元の絵巻に戻すことが可能だそうデス。またこの時最も高価な値段がついていたのが36人中唯一の皇族だった「斎宮女御(徽子女王)」。そのお値段は当時の価格で4万円、今の価値にすると4億円だったとか。さらにその掛け軸の表装には2代将軍・徳川秀忠の装束が使用されたそうで、制作費はなんと今の価値にして1億5千万円!?

尾形光琳 紅白梅図屏風

【国宝】紅白梅図屏風 尾形光琳 江戸時代18世紀 

尾形光琳を主人公にした鳥越碧著書の「雁金屋草紙」を読んで以来、どうしても鑑賞したくなったのがこの「紅白梅図屏風」。特に真ん中に描かれた黒い川の流水紋の意匠に心奪われた次第デス。この流水紋は後に「光琳波」と呼ばれ、「光琳梅」や「光琳菊」と同様、不変的な様式美として誰もがしるところとなっていきます。

右隻の「青々光琳」、左隻の「法橋光琳」の落款、「方祝」の朱文円印も確認。これにて狩野永徳の「唐獅子図屏風」、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」、円山応挙の「雪松図屏風」と合わせた4大屏風コンプリートです。

因みにこの「紅白梅図屏風」は光琳50代の半ば頃、津軽藩第5代藩主となった津軽信興と近衛家煕養女の綱姫(醍醐冬基の娘)との婚礼祝い品のために描かれたのではないかと推測されています。