太宰治 『十二月八日』を読んで。

太平洋戦争 真珠湾攻撃 Attack_on_Pearl_Harbor_Japanese_planes_view

臨時ニュースを申し上げます。


臨時ニュースを申し上げます。

大本営陸海軍部
十二月八日午前六時発表。

帝国陸海軍は今八日未明
西太平洋に於いて
アメリカ・イギリス軍と
戦闘状態に入れり。

「尊王攘夷」の思想のもと
薩摩・長州をはじめとする
幕末の志士たちによって
成し遂げられた「明治維新」は、

武士の世に培われ、
かつての日本人が持ち合わせていた
今にして「侍魂」とも呼ばれる
スピリッツとプライドとが相まって、
欧米諸国に追いつくこと、
欧米諸国を抜き去ることを
日本人自らが強要しはじめます。

そして、そこから生まれた
ごくごく小さなうねりは
やがて後戻りが出来くなる、
誰も止めることが出来なくなる
日清戦争(1894-1895年)、
日露戦争(1904-1905年)、
第一次世界大戦へと突き動かし、

その微差だったはずの勝利は
国民やメディアの歓喜によって
大勝利とも言える希望的表現に
不幸にも置き換えられたことで、
大きなうねりへと変貌し、

その後、日中戦争、
太平洋戦争という
日本史史上最も過酷な歴史を
生んでしまったことは
皆様もご承知の通りです。

uss_west_virginia014824 真珠湾攻撃

もちろん今となっては
日本の国力の10倍以上もあった
米国に戦争を仕掛けるなんて
馬鹿げたことをと思われますが、

真珠湾攻撃当日に太宰治が
妻・美知子の目線で書いた
日記「十二月八日」でも

その様子がお分かり頂ける通り
幼子を抱えた主婦でさえ

大本営陸海軍部発表。
帝国陸海軍は今八日未明
西太平洋において
米英軍と戦闘状態に入れり。

との開戦の知らせを聴いて

しめ切った雨戸のすきまから、
まっくらな私の部屋に、
光のさし込むように
強くあざやかに聞えた。

二度、朗々と繰り返した。

それを、
じっと聞いているうちに、
私の人間は変ってしまった。
強い光線を受けて、
からだが透明になるような感じ。

あるいは、
聖霊の息吹いぶきを受けて、
つめたい花びらを
いちまい胸の中に
宿したような気持ち。

日本も、けさから、
ちがう日本になったのだ。

と、日米英開戦の報を
オリンピック開催と同じような
心持で嘱望していたかのように
感極まって捉えていることから

以下に日本国民が
対米戦争を心待ちにしていたか、
理解できるのではないかと。

その後、まさか日本本土が
この世界の片隅に」のように
戦火に包まれ焼け野原になるとは
誰もが露ほども思わずに。。。

それ故に仮にボクが
あの時代に生まれていたら、
大の反戦派だった吉田茂首相
吉田茂白洲次郎さんのように
開戦を反対できたかというと、

絶対反対出来なかった。

それどころか、
世論に煽られ、
五輪に出場するが如く
日本代表選手として
勇んで出兵していただろう、
と思われる次第です。

奇しくも安倍首相が
12月26・27日にオバマ大統領と
ハワイ・真珠湾に訪問し、
真珠湾攻撃の犠牲者を
慰霊する予定という。

かつて小泉元首相が
中国・盧溝橋に電撃訪問し、
頭を垂れたことを思い出します。