旧吉田茂邸「海千山千荘」再建。

エントランス 旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

4月9日(日)雨天。


2009年火災により焼失した
大磯にある旧吉田茂邸が
総額5億4千万円の費用を掛け、
再建されたとの報せを受け、
早速見学して参りました。

因みに火災の原因は漏電だそう。

大磯城山公園地図 旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

さて、旧吉田茂邸は
広大な大磯城山公園の
南側に位置してまして、

旧吉田茂邸地図 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

ご覧の通り
旧吉田茂邸だけでも
巨大な敷地を誇っています。

かの白洲次郎さんの武相荘にも
負けないほどの豪邸デス。

旧吉田茂邸 駐車場 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

エントランスの右側には
大きな駐車場もありますし、
見学者受入れ態勢は万全デス。

旧吉田茂邸 兜門 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

この旧吉田茂邸は、
明治17年に
その養父であった吉田健三氏が
別荘として建てたものだそうで、

吉田茂元首相が
終戦間際の昭和19年頃から
その激動の生涯を終える
昭和42年までの約23年間を
過ごした終の棲家デス。

早速、先へ進むと、、、

旧吉田茂邸 兜門 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

かの有名な「兜門」。
別名「講和条約門」とも。

吉田のトイレットペーパー
よく知られるサンフランシスコ
講和条約締結
を記念して
建てられた内門だそうで、

幸い火事で焼失しなかった為、
昭和29年に完成した当時
そのままの姿を残しています。

旧吉田茂邸 日本庭園 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

そして、兜門をくぐると
広大な日本庭園が広がります。

養父の吉田健三さんて
どんだけお金持ちだったのか。

仮に土地は安かったにしろ
温泉旅館もびっくりな巨大邸宅。

旧吉田茂邸 日本庭園 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

庭のお手入れだけで
巨額のメンテ費用が掛かりそう。

ホント凄いのひとことデス。

旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

裏から見た邸宅の画デス。

余談ですが吉田茂元首相は
終戦間際の昭和20年2月、
近衛上奏に協力したことが
露見し憲兵隊に拘束され、
40日ほど投獄されていますが、

当時、軍警察から
送り込まれた女性スパイが
女中としてこの邸宅に住み込み、
和平工作情報が筒抜けだった、
とも噂されてます。

旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

開高健記念館も真っ青な
8度の増改築を繰り返して
巨大な和風建築になったそう。

この優雅で巨大な和風建物が
全焼したなんてホント泣けます。

旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

続いて邸宅の南側に広がる
庭園には立派な竹林が。。。

旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

そして、七賢堂。

この建物もまた幸いにも
火災による焼失を免れており、
岩倉具視・大久保利通・三条実美・
木戸孝允・伊藤博文・西園寺公望、
以上6人とともに吉田茂元首相が
佐藤栄作元首相の名によって
合祀されたことで「七賢堂」と
名付けられたそうデス。

旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

この扁額「七賢堂」の文字は、
佐藤栄作元首相の字だそうデス。

旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

さ、いよいよ邸宅の中へ。

因みに入場料は大人500円。

靴を脱いで下駄箱に入れ、
スリッパに履き替えて見学デス。

と、その前に「サンルーム」。

「兜門」「七賢堂」と
同様に火事を免れています。

そして、

まずは東側に位置する建築家
木村得三郎設計の応接間棟から。

旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

1階の応接室「楓の間」。

わざわざ良寛の書を持参して
初めて大磯に訪問してきた
新人代議士の田中角栄から

「本物でもおまえが持てば偽物になる。偽物でも俺が持てば本物になるんだよ。」

と、言い負かして、
良寛の書を巻き上げたのは
この部屋だったのでしょうか。

その後、吉田さんのほうから
オールドパーを吞むように薦めた
ということですからきっと
この部屋だったんでしょうね。

旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

衝立には著名人から
吉田茂元首相に送られた
レプリカ?の手紙が
何枚も貼り付けられています。

旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

同じく1階にある
食堂「ローズルーム」。

椅子やテーブルも
焼失前のものを
忠実に復元されたようデス。

旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

愛飲していた日本酒は
高知県の地酒「司牡丹」。

実父・竹内綱氏がもともと
土佐藩士だったことから
その縁で高知産の地酒を
飲むようになったそうデス。

続いて2階へ。

旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

2階には和室の応接室。

旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

窓から見える庭園の景色も
ひときわ美しく。

旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

コチラが2階の執務室。

旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

当時の部屋の様子を写した
写真もありまして、、、

旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

その執務室には
ご覧の官邸直通黒電話が
備え付けられていたとか。

檜風呂 旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

プレスへの公開時、
話題にもなった舟形の檜風呂。

船大工による制作さとか。

旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

続いては昭和30年代に
吉田五十八設計による
増築された新棟のほうへ。

階段だけでも高級旅館仕様。

金の間 旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

2階の「金の間」。

金の間 旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

その「金の間」の窓際から
こんなふうに吉田元首相は
富士山を眺めていたとか。

なんとなく愛らしいですね。
チャーミングという言葉
ホント似合うお爺ちゃんデス。

旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1) 富士山方面眺め

生憎の雨天で
その富士山は見れず(涙)

銀の間 旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

続いては「金の間」隣りの
寝室「銀の間」デス。

旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

「銀の間」には本棚と、、、

銀の間 旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

当時は書斎があったそうデス。

旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

当時のベッドの写真です。

吉田茂元首相は
1967年8月、
心筋梗塞の発作に襲われ、
自宅療養をしていたところ、

1967年10月20日、
「富士山が見たい」といって
娘の麻生和子さんが布団を敷いて、
その後、眠るように
89歳の人生を閉じられた、
ということですから、
実際にはこのベッドではなく、
「金の間」に敷かれたお布団で
亡くなられたのかもしれませんね。

因みに娘の麻生和子さんは
麻生太郎元首相の母親ですね。

戦前は外交官として
20年近く中国に駐在し、
戦時中は投獄もされ、
終戦後は総理大臣として、
GHQのマッカーサーや
ホイットニーと渡り合い、
国務長官ジョン・フォスター・
ダレス
との交渉を経て、
サンフランシスコ平和条約、
日米安保を締結するなど、

胃がきりきり痛みそうな
数々の実績を残してきましたが、
意外にも長生きだったんデス。

しかも

ハバナ産の葉巻を
ぷかぷかふかしながら(苦笑)

確かにこの高級温泉旅館も
顔負けな豪邸に住んで、
毎日葉巻くわえて
富士山眺めてたら
長生きできるかも?
とちょっと思った次第デス。

檜風呂 旧吉田茂邸 大磯 shigeru_yoshida_residence (1)

なお、新館のほうの風呂は
普通の檜風呂だったようデス。

以上、

小走りのご紹介でしたが、
戦後の貧困に喘いだ日本を
外交の力だけで救った
と言っても過言ではない
昭和の宰相・吉田茂を偲んで、
ぜひこの大磯の地に
足を運ばれては如何でしょうか。

きっと込み上げるものを
感じられるかと思いますヨ。

◆旧吉田茂邸
住所:神奈川県中郡大磯町国府本郷
公開時間:9:00~16:30(入館は16:00まで) 。庭園は17:00まで
入館料:大人500円、中高生200円、小学生以下無料。庭園は無料
休館日:毎週月曜(月曜が祝日の場合は翌火曜)、毎月1日、年末年始。2017年4月1日と3日は臨時開館
交通アクセス:JR東海道線「大磯」駅下車、バス「二宮駅」行・「国府津駅」行・「湘南大磯住宅」行で「城山公園前」下車

 

□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□

島崎藤村旧宅

島崎藤村の大磯旧宅。

1943年「東方の門」連載開始
書き終えた同年8月22日その日に
脳溢血のためこの自宅で死去。

最期の言葉は「涼しい風だね」だったそうな。

因みに島崎藤村は「戦陣訓」の文体を校閲したメンバーのひとり

恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々(いよいよ)奮励してその期待に答ふべし、生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ

— 『戦陣訓』「本訓 其の二」、「第八 名を惜しむ」

なるほど、語調がいいのはそのためか。