東 行 庵 。

2018年3月26日(日)午前


長州は奇兵隊の国である。司馬遼太郎

さて、長州の旅 功山寺篇よりしばらく間を空けてしまいましたが、引き続き高杉晋作所縁の地ご紹介デス。

山口県下関市吉田町にある東行庵。

因みに「東行」とは高杉晋作の号のことデス。

東行庵とは曹洞宗の寺院で功山寺の末寺にあたります。

もともと奇兵隊軍監だった山縣有朋が「無鄰菴」と名付けた草庵があったところなんですが、第二次長州征伐において幕府軍を撃退した後の1867年5月17日、惜しくも結核の病に斃れた高杉晋作(満27歳)が奇兵隊の本拠に近い地に自身の亡骸を葬るよう遺言を残したため、この地に晋作の墓が建立されたというわけデス。

コチラが東行庵の建物。

残念ながら中に入ることはできません。

もともとは山縣有朋が住処だった「無鄰菴」ですが、高杉晋作の妾だったおうのの将来を心配した山縣がおうのにこの草庵を譲り、「東行庵」と名を変え、おうのはこの草庵で1909年に亡くなるまで晋作の菩提を弔ったそうデス。

明治の元老の中でも井上馨とともにやんちゃばかりが目立った山縣有朋ですが、こういう気遣いができたことにはちょっと驚きデス。

高杉晋作墓。

墓石には「東行庵」とだけ彫られています。

また、すぐそばに妾・おうのの墓、少し離れたところに父・高杉小忠太、母・みち、正妻・まさらが眠る高杉家の墓もあります。

高杉晋作銅像。

東行庵にはもう一体晋作と山縣有朋の銅像がありますので、ぜひ探して下さいネ。

おもしろき
こともなき世を
おもしろく

晋作

すみなすものは
心なりけり

望東

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