2019 京都の旅 vol.16 地蔵院。

地蔵院 京都市西京区

一休さん所縁の禅寺。


1367年、室町幕府管領だった細川頼之が宗鏡禅師を招いて建立した臨済禅の禅寺がこの地蔵院。

かの一休さんが安国寺に入門する前の幼少の頃に母親と過ごした寺として知られています。

地蔵院 京都市西京区

通称は「竹の寺庭園」。

地蔵院 京都市西京区

簡素な本堂。

地蔵院 京都市西京区

方丈と庭園。

地蔵院 京都市西京区

方丈内にはハートの形をした窓も。

地蔵院 京都市西京区

さらに細川頼之公の子孫にあたる細川護熙元首相筆直筆の襖絵「瀟湘八景図」も。

地蔵院 京都市西京区

細川頼之公の墓所。

地蔵院 京都市西京区

さて、一休さんこと一休宗純は、南北朝時代に終止符を打った北朝第6代の後小松天皇の落胤と言われ、母親は藤原一族である日野中納言資朝の娘・伊予の局ではないかと伝わっていました。アニメ一休さんもその説を採用してたぐらいですしね。

ところが、皇胤説に沿うならば、母親は後小松天皇の官女で、その父親は楠木正成の孫とされる楠木正澄ではないかという説も俄かに浮上している模様デス。

そして、一休さんと言えばこんな逸話が遺されてることを忘れちゃいけません。

父の後小松天皇に似たのか
かなりの好色家だったらしく
妻を亡くして暫く経った76歳の時
住吉薬師堂で鼓を打つ
盲目の美人旅芸人 森侍者と
運命的な出会いを果たし
50歳近い年齢差が
あったにも拘わらず

「その美しい笑窪の寝顔を見ると腸もはちぎれんばかり・・・楊貴妃かくあらん。」

と、詩集『狂雲集』に
想いを残すほど彼女を溺愛し
一休が他界するまでの約10年間
2人は酬恩庵で同棲生活を送ります。

途中80歳の時に
応仁の乱で炎上した
京都・大徳寺復興の為に
後土御門天皇の勅命で
第47代の住職に任ぜられるも
大徳寺には決して住もうとせず
彼女の住む酬恩庵から
わざわざ通っていたと言います。

そして、87歳の時
不幸にもマラリアに感染し
弟子たちに見守られながら
最期の時を迎えることになるんですが
臨終を前に発した言葉は、、、

「死にとうない!」

しかも彼女に面と向かって
力を込めて言い放ったと言います。

「人生とは冥土までの暇つぶし」
と詠んで遺した平泉・中尊寺の
今東光大僧正をもってしても
この「死にとうない」と語った
一休和尚の言葉の裏は
計り兼ねるとのことでした。

まだ愛し足りなかったのかな?

また、一休和尚は、他界する直前
弟子たちにこんな言葉とともに
一通の手紙を遺したそうデス。

「この先、どうしても手に負えぬ深刻な事態が起きたら、この手紙を開けなさい。」

それから数年後
弟子たちに今こそ師の知恵が必要!
というような重大な局面が訪れ
みな固唾を呑んで、一休和尚の
遺した手紙を開封したそうデス。

手紙に書かれていたのは
こんな言葉だったそうデス。

「大丈夫。心配するな、何とかなる」

これぞ悟りの境地ですネ(笑)

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